つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 4-5.

創刊号に寄せて

平林 民雄 (元 筑波大学 生物科学系)

 「つくば生物ジャーナル」が創刊されるにあたり、OB 教官の一人としてこのジャーナルに対する期待や感想を述べたい。

 昨今の新聞雑誌を見るにつけても、生物や生命に関する記事のないものを見つけることが困難なほど、社会の関 心が広く強いことを痛感する。このような環境下で、われわれ生物学を学んだ者は相手が文学者であろうと、経済 学者、法学者であろうと彼らの興味を引く生物学の話題はいつでも用意できる。かつて、「生物学などを勉強して何になる(就く職業が無いだろうという意味)」と言われた時代と比較すると本当に隔世の感がある。これはそれまでの生物学自体が発展したからと言うよりも、生物学の領域が拡大し、化学物理学など近隣領域を包含したからと言うのが正しい。近隣領域を包含せざるを得なかったと言うのがもっと正しいかもしれない。そのような時代にあって、生物学を教授するなどということは本当に困難なことである。現在の生物学はこれを専門領域とするにはあま りにも広すぎる。一方、入学してくる学生はこの広い領域にもかかわらず特定の流行の話題に関心を寄せ、少なくとも入学時点では他に目もくれない状態にある者がしばしばいる。彼らを教授して広く関心を持たせるのは生物学類教育の重要な役割である。ある大学の先生は「学生が何に関心を持って入って来ても、だまくらかしてでも、こちらの専門に引きずり込む」と言ったが、これは酷い。先ずは彼らの心をほぐし広く関心を持たせることが、その学生が将来どのような職業に着くにしても必要であり、健全な知性を備えるために必要である。従ってこのジャーナルを通じて、教官のみでは担当できない分野や先輩が経験した実社会の情報に生物学類生が接しうることは有益 で、これを利用して学生の方から積極的に先輩と交流するようにして欲しい。

 一方、教職員は学生の将来を考えて教育に携わって欲しい。如何に平和な世の中とはいえ、まじめな学生ならば自分の将来について真剣に考えているはず。それにも増して真剣に教職員は彼らの将来を考えてやりたい。中にはそれほど真剣に考えていない学生もいるだろう。何をするために大学に来たのか分からない学生もいるだろう。更には大学での学習環境に適応できない学生も出るであろう。しかし大学はこの子に入学を認めたのであるから出来る限りの世話をしなければならない。このような場合には先輩の隠し隔ての無い回想録が大いに役立つのではないか。諸先輩にはご自分が学生のころ何に悩み、それをどのように切り抜けたかを是非話していただきたい。現在の学生の性格はとても多様で、社会経験の狭い大学の教職員ではとても対応できないというのが本音である。多くの経験をお持ちの先輩諸氏からの助言をお願いする。又、先輩や教職員がそれぞれの専門の研究内容を紹介する中に も、学生への励ましと配慮のきいた原稿が投稿されることを期待する。

 ある私学の理事が「学生を大事にしない大学はいずれ廃れる」と言った。法人化された後のわが大学も同じで、学生を甘やかす事無く、大切に教育したい。その様な教育を忍耐強く続けることが、大学が、そして生物学類がしっ かりした基盤を持ち備えることに通じる。そもそもある大学に力があるとはどのようなことか。良い研究者がいて、 有名な研究成果をあげ、多くの学生が入試に集まることであろう。しかし、本学が好きで、「あれは自分が卒業した大学だ」と胸を張って言ってくれる先輩が多くいることも「大学の力」の重要な要素である。それには歴史が必要 である。本学はその開学以来、しばしば校名を変えてきた。これをその都度、その都度での発展であったと言う人 もいるが、私はこれは大変な損失であったと思う。開学の時に特定の機能を表示する大学名はつけるべきではなかった。それから逃れるために名前を変え、その度に我々は先輩を失ってきたように思う。教育大の卒業生が自らを筑波大の前身の教育大の卒業生とは言っても、決して筑波大に特別な親近感を持たない。それだけ筑波大から距離を おき、親近感を失っていることになる。細かいことでは、生物学類の専攻名もそうである。医生物専攻を人間生物 専攻としたことによってでも、この専攻の先輩と学生が作っていたグループが解消してしまった。環境生物学専攻は解消されたため同専攻卒業生には寂しいこととなった。今回「つくば生物ジャーナル」の創刊にあたって心から願うことは、このジャーナルが学生に対する愛情に満ち、その発行が半永久的に続くことある。どこかの大学の〇 〇評論、〇〇通信などのように、その内容を喜んで引用し、これに投稿したことを誇りに思えるジャーナルにして頂きたい。このことが大学の力を生み出す原動力となると思っている。

 大学の理想的な運営は研究者には出来ない。一旦専門分野を持ち、それなりに研究に没頭した人間は広い心をもって学問分野を見渡し、社会を見渡すことは多くの場合出来ない。具体的問題が生じた時、その対処方法は護身的、組織保護的になる。大学の運営を真剣に考えても、その根源には組織の確保、保護、発展があり、直接的に「学生の ため」という自覚が無い。ここで重要なことは、どのような対処方法も非直接的には「学生のため」と言えること である。「学生のため」とは言いながら、実は組織維持のためであったり、権力維持のためであったり、自己の専門分野の拡充のためであったりする。従って、学生のための本当の提言は多くの経験と関心を持った、組織外の人か ら出される。「つくば生物ジャーナル」にはこの組織外の人からの意見が多く発表され、筑波大の現役教官の生物教育に多大の影響を与えることとなればとてもうれしい。

 これから迎える‘大学受難の時代’は筑波大学の発展の機会にもなり、没落の始まりにもなり得る。生物学類の教育がしっかりとした方針の下に進められ、「つくば生物ジャーナル」の創刊のような新しい動きが大学発展の一因 となることを期待する。

Contributed by Tamio Hirabayashi, Received August 16, 2002.

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