つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 100-101.

特集:留学

マンチェスター大学体験記

原浦 麻衣 (自治医科大学 1年)

 私は大学3年の秋から一年間,交換留学生としてイギリスのマンチェスター大学で学ぶ機会を与えられた。海外 旅行さえしたことのなかった私にとって,多くのことが初めての経験であった。そしてマンチェスターでの1年間 は,私がこれまで生きてきた中で最も多くのつらいこと、楽しいこと、悲しいこと、目新しいことを経験させてく れ、さらに自分の生き方を深く考えるきっかけを与えてくれた密度の濃い期間となった。

 英語を学びに英国に行くわけではなかったので、当然英語を話せるようになっているべきではあった。しかし私 のTOEFLの成績はボーダーぎりぎりのスコアをどうにか取ることができたといった状態で,受験英語にほんの少し 毛が生えた程度の全く使えない状況だった、といっても過言ではなかったと思う。

 渡英後の最初の1ヶ月は,世界各国からの留学生とともに英語のクラスを受講した。その中には、日本の有名企 業を辞めても自分のやりたいことをしたい、と言った理由で修士号をマンチェスターに取りに来ている人が数人い た。かれらとの出会いも、わたしの狭いものの見方を教えてくれる手助けとなった。30代半ばで自分の夢に忠実に 生きている彼らは、私に生きる方向性を示してくれると同時に,私がまだ何かをあきらめるには早すぎる年齢なの だということを自覚させてくれた。その英語のクラスで出会った多くの人たちは今世界各国で活躍しているが、か れらが日本に帰ってきた時は皆で集まったりして連絡を取り続けている。英語のクラスの受講でネイティブ以外の 人々とある程度はコミュニケーションが取れるようになったが、その後英国人の真っ只中に入ってみて、あらため てネイティブな英語、とりわけマンチェスター独特の訛りのある英語を聞き取るのに困難を感じた。留学前1年間 は特に英語のリスニングに力を入れて,CNNなどのニュースは大体理解できるようになっていたが、生身の人間との 現実の付き合いのなかで,英語で自分の言いたいことを伝えるのは非常に難しいことであった。総じて1年間を通 して英語には苦労させられっぱなしであったが、それでも半年を過ぎると研究室やフラットメイトに英語を誉めら れるようになり、自分の中でも、“私たちはネイティブの英語ではなく、ノンネイティブなりの正しい英語を目指せ ばよい”といった境地になり、その後は焦らずに語学の学習もできたと思っている。

 マンチェスター大学で所属した研究室は、博士課程の学生2人、ポスドク研究者が3人に技術者1人、そしてロー テーションで3ヶ月ほど実験をして他の研究室に移っていく修士課程の学生が常時2人といった,こじんまりとし てはいるがアットホームな研究室だった。最初の頃は実験内容や機器の操作法の理解,慣れない英語でのコミュニ ケーションなど多くの困難に遭遇したが、研究室の人たちが海外からの人の扱いに慣れていることもあって、研究 室ではとてもよい経験をすることができたと思っている。そもそもイギリスの研究室では学部生が1年間も研究室 に所属しないので,私は研究室では明らかに最年少の学生であり,研究室のメンバー全員から手取り足取り教えて もらったという感が強い。また会話においても、生物に関することなら他のトピックよりも語彙力があるのでおしゃ べりも楽しむことができた。また実験の合間に自分たちの分野とは異なる生物学全般についてのことをおしゃべり したり、イギリス人以外のメンバーとマンチェスター訛りについての不平を延々と語ったり、私の英語の間違いを 指摘してくれたりなど,大変楽しい時間を過ごすことができた。一年間の最後に,それまでの実験結果を先生方の 前でプレゼンテーションしたが、その時に誉めていただいたことがこの上なく嬉しかったのを覚えている。

 研究室以外では、フラットで5人のイギリス人と1人のアメリカ人で一緒に住んだことが印象深い。全員英語を 母国語にしていた為、最初の3ヶ月は非常に苦労したが、それでも彼女らは、私のためにゆっくり英語を話してく れたり、私が間違った英語を話すとそれを訂正してくれたり、イギリスの伝統料理を作ったらそれを私に説明して くれたりなど、とても暖かく接してくれて、知らず知らずのうちに最も自然な状態で文化交流が出来たと思ってい る。

 また冬休みやイースターのときに少しまとまった休みが取れると、イギリスにいるというチャンスを利用して、マ ンチェスターで知り合ったヨーロッパの友人を訪ねて大きなリュックを背負いながら一人旅をしたり、大好きな ミュージカルを見にロンドンに行ったりした。趣味のダンスも、良い具合に大学の近くに教室があったのでそこに 通ったり、ドミニカ共和国の友達に本場のラテンダンスを教えてもらったりして,勉学以外のことでも充実した一 年間を過ごすことができた。

 イギリスで得たものは語学力や度胸、幅広いものの考え方、忍耐などたくさんあるが、なかでも一生の友人を得 たことが自分の中ではおおきかったと感じている。特に同じ研究室のポストドクター研究者であったヘレンにはた いへんお世話になり、今でも何かあるとe-mailで相談したりしている。

 私は筑波大学を卒業した後また医学部を受けなおし、今は医学生として大学生をやり直しているのだが、大学を 再受験しようという決断に至ったのも、イギリスでの経験が大きく影響している。留学前の私は,自分の眼前に何 気なく敷かれたレールの上を歩くことしか知らず、冒険を冒したりする方ではなかった。イギリスに行っていなかっ たら、おそらく、将来の明確なビジョンも持たないまま勢いで大学院を受け、とりあえず大学院を出ておこうという容易な方向に逃げていただろうと思う。“自分が本当にやりたいことは何なのか?その為には今どういったことを する必要があるのか?”という疑問に正直に向き合えるようになったのは、イギリスで私の常識が覆され、狭すぎ たものの考え方に気づかされたからである。それまで“私はもう20歳を超えてしまった”という考え方をしていた が、“私はまだ20代である。まだ色々な可能性を秘めている”と考えられるようになったのである。留学が私の人 生を大きく変えてくれたと確信している。

Communicated by Hiroshi Yamagishi, Received August 28, 2002.

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