つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 98-99.

特集:留学

マンチェスター大学に留学して

中尾 優希 (筑波大学 生物学類 4年)

 昨年の8月から今年の6月までの10ヶ月間、生物学類の交換留学制度でイギリスのマンチェスター大学に留学し てきました。2期生ということもあり、あまり情報のないまま、未知の世界への好奇心だけを抱いてイギリスへと出発しました。今思えば、ハプニング続き、必死に生きてきた、といっても過言ではありませんが、あっという間の 10ヶ月も、一つ一つのエピソードで充実した、私にとってはこれまで生きてきた22年間の中で一番密度の濃い時間 を過ごすことができたと思います。

 大学の始まる9月までは語学クラスに入り、年齢もバックグラウンドも国籍もまったく違うクラスメイト達に囲まれ、お決まりのようですが、カルチャーショックの洗礼を受けました。死刑制度をテーマにしたディスカッショ ンでは、死刑を廃止した国とそうでない国での考え方の違いがぶつかりあって、英語の練習ということを忘れて、自分達が決して満足に英語を話せないことも忘れて、意見を戦わせることに白熱しました。ここで出会った友達は、後 も「最近どう?」と連絡を取り合い、励まし合いました。帰国する前日に、妹のように私をかわいがってくれた友 達にばったり会いました。彼女は、「10ヶ月前には、筆談しかできなかったのに、よくここまで話せるようになった わよね。」と笑っていましたが、本当に、渡英したての頃は紙の上の英語と口から出る英語がこんなに違うものなの か、のどまで引っかかっているほど言いたいことなのに、英語になって出てこないことにストレスを感じることば かりでした。しかし、私は生粋のおしゃべり、しゃべらずには生きられないので、伝わらないならジェスチャーを 使ってでも、百倍しゃべってでも伝えてやろう、という心持ちですごそうと努力しました。  9月、大学が始まってからは、研究室に所属し、マンツーマンで指導してくださるsupervisorの下で研究を行いました。わたしの先生はイタリア人、とても陽気なオジサンでした。「ユキが英語を話せない気持ちはよくわかるから」と、ゆっくり、分かりやすい言葉を選んで話してくださるのですが、白熱してくると早口、巻き舌でサッパリ 聞き取れず、おたがいにストレスをためてしまうこともありました。しかし、分からないときにはいつでもその場 で質問させてくださるとてもよい雰囲気で、いつも先生のお尻にぴったりついていくので「カルガモの親子だ」と 研究室のメンバーに笑われてしまいました。実験操作を習い始めて2ヶ月くらい経ったある日、先生に「これから は、きみは私の生徒ではなく、colleagueとして扱うよ。基本操作ができるようになった今からは、質問だけでなく、 自分の考えもどんどん出せるようににならなければ。これからはどんどんユキの考察も聞くからな。」と言われました。その一言がとても嬉しかったです。もちろん、自分の考察を的確に言い表す英語力以前に、つたない考察力で あることは分かっていましたが、自分を研究者の一人として自覚させられたあの一言は、実験がうまくいかなかった とき、思うように進まないときにもいつも思い出され、励まされました。研究室の中だけでなく、冬休みや週末には、先生のお宅にホームステイをさせてくださり、まるで家族のようにかわいがってくださいました。研究室のほ かのメンバーも、ことあるごとに助けてくれたり、相談にのってくれたり、クリスマス会や、みんなで持ち寄って ディナーをしたり、気を使って、というより当然のように私を仲間(というよりは妹のようでしたが)として扱ってくれて、私は少しも気後れすることなく、まさに楽しい研究室生活でした。

 そんな私にも、スランプの時期はもちろん襲ってきました。実験もうまくいかない、それまで気にしたこともな かった英語力のなさ、考えてみれば一日中研究室にこもりっきり、「全然楽しくない」という思いがふつふつと沸いてきて、何もかも面白くなくなってしまったこともありました。そんな時に支えてくれたのは、日本にいる家族や友達、先生からのメールでした。日本を飛び出してきたのに、遠い日本からいつも支えてくれる人たちがいる。特に、2年間共に過ごした同じ生物学類の友達は、励ましも厳しいことも言ってくれる、かけがえのない友達だとい うことに、とても感謝しました。もちろん、研究室で元気がなければ、「どうしたんだ?」ということになり、「ホー ムシック?」と聞かれることもありましたが、不思議なことに、“ホームシック”とやらには一度もかからず、そのかわり、“筑波シック”にはかかっていたような気がします。(これは母親に言われたことなのですが。)

 日本とは違い、街中にはいろいろな国から来た人たちがあふれていたので、「自分がここではガイジンなのだ」と いう事をすっかり忘れていましたが、イギリスで出会った友達には、自分が“日本人”であること、今までいかに狭 い世界で生きてきたか、ということをいやというほど思い知らされました。個人の違いを越えて、文化の違いからくる、考え方の違い。いっしょにジョギングをする仲だったドイツ人の友達とは、走りながらもいろいろな話をしました。「だから日本人は〜」といわれることも多々ありましたが、わたしも負けずに「だからドイツ人は〜」と言い返 してやりました。決して分かりあえない、とあきらめるわけではないのですが、こんなにも、ここまで生きてきた環境が違えば分かりえないこともあるのだということも感じました。これまで聞いたこともなかったような一言にはっとさせられたりもしました。  日本に帰ってきて、空港に着いたとき、周りが全員日本人でみんな同じ顔に見えてしまい、驚きました。空港まで迎えに来てくれた友達の顔は10ヶ月前とまったく変わらず、わたしが日本を発った日がまるで昨日だったかのように、イギリスでの日々が夢だったかのように感じられました。帰国後すぐに日本での卒業研究を開始し、またあっという間の2ヶ月がたった今、一つ一つを思い出すようにしてこの体験記を書いています。実験を終えてレポートを提出したときに先生に言われた言葉、「いつか学会で会おうな、ユキが立派な研究者になったら、日本に遊びに行こう」という言葉を励みにして、これから目標に向かってがんばっていこうと思っています。

 4年間のうちの1年間を海外の大学で過ごす、というこの交換留学制度は、なかなか得られない貴重な機会であり、その後の自分にとても大きな経験になると思います。実際に、私は単なる憧れだった海外への思いが今は消え、 これから、自分のやりたいことを探すのに、世界中のどこからでも見つけられる、そんな気がしています。わたしには、自分が10ヶ月前とどう変わったか、なんてことは分かりませんが、一緒の時期に行った友達が、会うたびに どんどん逞しくなっていくのを目の当たりにして、自分にもこの10ヶ月間でなにか一回り大きくなったところがあ るはず、自信を持っていかなければ、と思っています。そんなチャンスを与えてくださった先生方、家族、友達に とても感謝しています。ありがとうございました。これからどんどん、この交換留学制度に挑戦しようという後輩 たちが続いてくれること、そして、いろいろな体験談を聞かせてくれることを期待しています。

Communicated by Yoshihiro Shiraiwa, Received August 4, 2002, Revised version received August 7, 2002.

©2002 筑波大学生物学類