つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 18-19.

特集:生物多様性

国立環境研究所における藻類多様性研究

河地 正伸 (国立環境研究所)

 私が所属する独立行政法人 国立環境研究所では、環境問題に対して総合的に取り組む体制のもとで、理・工・農・ 医・薬・社会から経済に至る多分野の研究者が必要に応じて柔軟に協力し合いながら研究を進めている。環境問題は、かつての公害問題のように特定地域で発生する問題から、有害化学物質や廃棄物問題、生物多様性の問題、更に地球温暖化、オゾン層破壊など、全地球的規模で幾世紀にもわたる複雑化、多様化した問題としてクローズアッ プされている。こうした問題に関わる研究機関は多数あるが、当研究所の場合、総合的に諸々の環境問題に取り組んでいるところに特色がある。

 酸素を発生する光合成生物から陸上に生息する植物(コケ、シダ、種子植物)を除いた生物を藻類と総称する。藻類と環境との関わりは様々である。基礎生産者として水界生態系の重要な要素としての役割を担う一方で、赤潮やアオコなど、藻類の大量繁殖現象は魚介類の大量斃死や水質の悪化などの問題を引き起こす。藻類の中には、種々の毒性物質やオゾン層破壊物質などの有害物質を生産する種や病原性をもつ種がいる一方、様々な有用物質を生産する種もいる。珪藻や円石藻などのように生態系や地層年代の指標生物として極めて有用な藻類群もいる。赤潮問題一つを取ってみても、特定の種ばかりが問題となるのではなく、次から次へと原因種が変遷することがあり、予防と対策を困難なものにしている。中には問題の種を詳しく調べてみると新種だったという話もあるほどである。数年前に話題となった「川が死で満ちるとき(草思社)」という本で、新種の渦鞭毛藻 Pfiesteria piscicidaの魚を喰らう獰猛性と人間の神経を冒すという揮発性毒などが恐ろしげに綴られていたのを覚えておられる方もいるのではないかと思う。本当にこのPfiesteriaが危険な揮発性毒を作っているのかという根本的で未解決の問題はあるが、微生物は系統的に多様であり、その生態機能も多岐に渡ることから、我々の想像を超える問題がもたらされることを危惧する研究者も多く、環境と微生物に関わる現象解明とその対策は将来に渡り求められ続けるに違いない。

 さてここで私自身の紹介をしておきたい。1994年に筑波大で学位を取得した後、民間の研究所で3年ほど藻類の探索、保存業務、有用性の評価研究に携わり、1998年にここ国立環境研究所に移ってきた。在学時から現在に至るまで、幸いにも一貫して微細藻を研究対象とすることができた。国立環境研究所では創設当初(当時は国立公害研究所)から藻類に関連する様々な研究プロジェクトが実施されており、私も移動直後からいくつかのプロジェクトに関わるようになった。例えば「干潟等湿地生態系の管理に関する国際共同研究」というプロジェクトでは、世界各地で開発の対象とされている干潟生態系の評価手法の確立と整備を目的として、日本各地から選定された13箇所の干潟で微細藻類の種組成とバイオマスの調査を行い、他の様々な生物群および環境要因と併せて日本の干潟生態系の類型化を試みた。また長江流域から東シナ海に流出する汚濁物質や有害物質が海洋生態系に与える影響評価を行う研究プロジェクトでは、海洋調査とメゾコズムによる隔離生態実験に参加し、各種環境負荷が植物プランクトン群集に与える影響について評価を行った。アオコなどの有毒性微細藻類に関するプロジェクトにおいて、有毒アオコ発生モニタリング手法の開発研究を行う際に必要とされた分布調査に関わらせてもらったこともある。いずれも多様性研究自体はプロジェクト全体の中の一部に過ぎず、目的というより手段として使われてきた。しかし生態系の現状を把握し、その機能的役割や価値の評価を行い、保全の必要性を判断する際に、生物の多様性情報は重要な情報とされていることを強調しておきたい。最近では、分類学の振興そのものを目的とするプロジェクトも始め られている。Global Taxonomy Initiative(GTI,和訳は世界分類学イニシアティブ)をご存じだろうか。これは生物多様性条約締約国会議(第5回(2000年)、第6回(2002年))で取り上げられた主要な議題の一つで、分類学関連の情報及び専門家の不足が生物多様性条約を実施する上で大きな障害となっていること、そして保全すべき生物およびそれを取り巻く環境に関する情報が不足している現状を踏まえて提唱されたものである。打開策として、分類学の振興と分類学的研究情報を国際的に共有するシステムを構築するワークプログラムが勧告として出されており、国立環境研究所でも関連する研究プロジェクトとして「アジアオセアニア地域における生物多様性の減少解決のための世界分類学イニシアティブに関する研究 (地球環境研究総合推進費)」が2002年度からスタートした。現在、このプロジェクトのもとで、アジアオセアニア地域における多様な生物群・生息環境を対象として、生物種イ ンベントリーの整備と分類学に関わる知識と技術の共有、人材育成等のキャパシティビルディングが進められている。生物多様性の減少という全世界的な問題を解決するために、分類学者の協力が強く求められているのだが、当の分類学者とこうした世界的な動きの間にはギャップがあるようにも思える。長期的な展望の基で第二、第三の分類学振興プロジェクトが続けられる必要があるし、これを通じて分類学者自身の自覚と積極的な行動が促されることが期待されている。

 研究プロジェクトの場合、通常、3〜5年で成果を出して終了することになるのだが、こうしたプロジェクトと並行して、私が大きく関わっている国立環境研究所のカルチャーコレクションについて最後に紹介しておきたい。このコレクション施設は微生物系統保存施設という名称で知られ、国立環境研究所の創設当初から現在まで、プロジェ クト研究で使われた様々な微細藻類が保存され、研究所の研究推進に利用されるとともに、国内外の様々な研究者による寄託と分譲の依頼に応えてきた。赤潮やアオコなど環境問題と関連する微細藻が多数保存される点に特色があり、保存株リストを定期的に刊行するなど、世界でも有数のコレクション施設として機能している。詳しくは、我々のホームページ(http://www.nies.go.jp/biology/mcc/home_j.htm)を参照していただきたい。現在いる5名の専任スタッフは、保存株の維持、寄託株の受入と分譲といった業務を担当しながら、合間を縫って、保存株の顕微鏡観察や遺伝子解析そして文献調査を行うなど、分類情報の整備に努めたり、新たな保存株の確立や凍結保存方法の検討そして絶滅危惧藻類の保存法や培養法の検討等を行ったりしている。また大学院生や国内外のポスドクが 3、4名ほど常駐しており、コレクションを用いた様々な研究が行われている。共同研究者の来訪も多く、微細藻類の保存、培養方法の修得を目的とした見学や研修生も随時受け入れている。最近では、絶滅が危ぶまれている淡水産大型藻類の保全研究が始められ、さらに、系統的新規性や有用物質生産そして遺伝子資源としての有用性に着目した微細藻類の収集と保存を行うナショナルバイオリソースプロジェクトが筑波大学などと協力して発足するなど、環境問題の原因生物を保存する施設から、多種多様な研究テーマと関わるようになってきた。私どもの施設は、 藻類多様性研究の基盤的施設として本格的に機能し始めたと思っている。この方向性は決して間違っていないと思 う。私自身は、カルチャーコレクションを拠り所としながら、プロジ?クト研究そして学会と積極的に関わること で、藻類という生物の多様性研究を推進していきたいと考えている。

1.微生物系統保存施設(環境生物保存棟), 2.凍結保存集中管理システム, 3.保存株リストの表紙, 4.保存株の培養状況, 5.絶滅危惧藻類のチスジノリ, 6.絶滅危惧藻類の車軸藻, 7.赤潮形成藻のChattonella antiqua, 8.円石藻のUmbilicosphaera sibogae var. sibogae, 9.有毒性藍藻のMicrocystis aeruginosa, 10.有毒性渦鞭毛藻のGymnodinium mikimotoi

Communicated by Isao Inouye, Received December 25 2002, Accepted Januy 7 2003.

©2003 筑波大学生物学類