つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 334-335.

「電子出版」の講義を終えて

浦山 毅 (共立出版編集部)

1. はじめに

 筑波大学の非常勤講師に任命され、10月30日に1コマだけ講義を持った。この科目は総合科目「卒業生によるオムニバス講座2003―社会人としていかに生きるか―」(2学期の毎週木曜日6時限、16:45〜18:00)で、各学類・専門学群の卒業生が交代で話をする。受講生は全学生が対象で、1単位が取得できるというものである。

 内容は自由だったので、私は「電子出版と電子編集」と題して、おもに電子出版の話をした。電子出版はご承知のように、紙の本に代わる、CD-ROMやインターネットで提供される電子の本のことである。もう一方の電子編集は、私が提唱する、パソコンを活用した編集術のことで、紙の本にも電子の本にも応用できるテクニックである。こちらもぜひ話をしたかったのだが、時間がなかったので、拙著[1]を配って講義に代えた。

2. 電子出版とは

 電子出版は、一般の人にとって「興味はあるが、よくわからない」のではないだろうか。それもそのはずで、電子出版というのはいくつかのカテゴリーに分けられる事象の集合体だし、時代の経過とともに電子出版の意味するものが変化してきている。また、電子機器メーカーの主導で始まったために、実体のよくわからないカタカナ用語が氾濫しており、そうしたことが電子出版をさらにわかりにくくしているものと思われる。

 電子出版は1985年ごろから技術的に可能になってきた。最初は「編集工程の電子化」を電子出版と呼んでいたが、やがて「CD-ROMによる出版」を指すようになった。その後、ややずれるが、紙の本をインターネット上で売る「オンライン書店」や、印刷工程にコピー技術を導入した「オンデマンド印刷」、機器や使い方を限定した「電子辞書」なども電子出版と呼ばれるようになった。現在は、電子化された中身をインターネットを通じて買う「オンラインによるコンテンツ販売」をおもに電子出版と呼んでいるが、何を指して電子出版というかについては人によってさまざまに解釈されている。

 カタカナ語の一例として「コンテンツ」をあげておこう。コンテンツというのは、紙の本から引っぺがした内容を指す。要するに、本の中身のことである。これまでは本の中身と紙とを切り離して考えることはなかったが、文字だけでなく写真や音声や動画が同じファイル形式で扱えるようになったこと、すなわちデータがフルデジタル化されたことから、電子の本(とくに、CD-ROMによるものをパッケージ本、インターネットによるものをオンライン本という)が可能になり、コンテンツという言葉が登場してきた。

3. 出版界の反応

 電子機器メーカーをはじめコンテンツビジネスをもくろむ企業は、たくさんのコンテンツを扱うことで業界の覇権を握ろうとし、加工料や手数料といった収入を当てにした。ところが、残念ながら彼らにはコンテンツを作り上げるノウハウがない。そこで、とにかくコンテンツを乗せる箱を用意して、コンテンツを持っている出版界に目をつけた。

 ところが、出版界は体質が古く懐疑的で、新しいものになかなか飛びつかない。しかも、一部の大手出版社を除いて、大部分の出版社は規模が中小零細で、資本もない。経営者のほとんどは文系出身者で、技術やコンピュータに疎い。そのため、メーカーからの提案をまともに受け止めることができた出版社は数えるほどしかなかった。

 しかもそれは、1991年にバブル経済が崩壊し、1997年から始まる出版不況を前に出版界全体が徐々に元気をなくしていた時代であった。状況が悪化すると、それまで隠れていた欠点が露呈してくるので社会の常で、出版界でも未解決問題が山のように噴き出してきた。そこに登場してきた電子出版だったから、ほとんどの出版経営者は事の本質を見極めることができないまま、電子出版に、出版不況を乗り切って諸問題を一気に解決してくれる「救世主」のような過大な夢を託してしまったのである。

 ところが、自助努力もしないで問題が解決するわけがない。おいしい話がそんなにころがっているはずがない。大手出版社や関係協会をはじめ大手資本の十数年にわたる試行錯誤の結果、電子出版には課題が多く、しかも意外と儲からないことがわかり、出版界では電子出版熱が急速に冷めていった。電子出版に対する評価は一転して、こんどは過小評価に変わってしまった。いま多くの出版社が、十分な調査や研究もせずに、電子出版について関心を失いつつある。

4. 電子出版の争点

 私は、電子出版の可能性に注目しているし、現在の出版界にとって電子出版は避けて通れないテーマだと思っている。だから、私は会社に提案して、そういう部署を作ってもらった。しかし、たいして検討もせず、あるいは最初から何の関心も示さず、電子出版から離れていこうとしている出版社がいることは事実であり、とても残念に思えてならない。

 電子出版の可能性を論じる際は、商売を優先して考えてはいけない。作る側からの一方的な論理だけでは、読者は納得しないだろう。電子出版が本当に世の中に定着するかどうかは、本や音楽のように、電子の本が私たちの生活を豊かにしてくれるかどうかにかかっている。そのうえで、電子出版社が商売として成り立つ必要がある。

 編集者という立場から言わせてもらえれば、よく世間でいわれている「紙の本 vs. 電子の本」という図式ではなく、電子出版の本当の争点は「編集者(第三者・プロ)が間に入る本 vs. 入らない本」ではないかということ。そして、出版界が本に引き続き電子の本も扱っていきたいのなら、現在の出版界が抱える問題の解決が先ではないか、ということである。

5. 出版界の未解決問題

 出版界には、大きく分けて16の問題がある。出版社の閉鎖性、殿様商売、新刊依存体質、自転車操業、印刷所のデータ・フィルム保管料、パターン配本、返品、正味、再販制、委託制、かかりすぎる取り寄せ時間(単品管理ができていない)、取次の弱体化、書店の素人化、著作権法の整備不足、印税制度の煩雑さ、無料貸本屋としての図書館、の問題である。これらは、これまでになんども論議され、解決策らしきものもいくつか提案されてはいるが、どれも解決には至っていない。

 いま出版界は不況のまっただ中にいる。出版社や書店の廃業・倒産が相次いでいる。どこの出版社も企画に対する遊び心がなくなって、確実に売れる本だけを模索するように変化してきている。だが、最初から売れるとわかっている本などありえない。仮に、何らかの方法で確実に売れる数が予想できたとしても、その本はその数「以上」には売れないのである。こうして、本の内容がだんだんとつまらないものになっていく。

 どこの出版社も流行に群がる。確実に売れそうだからだ。いまや2匹目のドジョウもいとわない。それどころか、3匹目、4匹目が現われる始末である。その出版社にとっては初めての1冊だったとしても、読者からすれば食傷気味で、いずれ似たような本が出てくるのなら、出揃った時点で買おうかと考えているうちに、買う意欲を失ってしまうのがオチである。

6. 講義を終えて

 講義では、電子出版の現状、収支計算、著作権問題、電子出版論争のあり方について、熱心にメモをとる学生や寝入る学生などを横目に話をした。講義終了後、数人の学生が寄ってきて、いま原稿を書いているがどうやって出版したらよいか、電子出版熱は本当に冷めつつあるのか、といった質問を受けた。久しぶりに若い学生と接することができ、大学の先生にとって毎年入れ替わる若い学生たちと語り合えることは一つの財産ではないかと思った。

 ところで、ハタから見ると出版社はどこも同じように感じるかもしれないが、じつは大きく2つに分けられる。大手出版社(数十社)と、それ以外の中小零細出版社である。大手は資本にモノを言わせて、電子出版にも初期のころから参画をし、いまも挑戦し続けているところがある。しかし、大部分のその他の出版社は、これまで述べてきたように、それほど深くは関与していない、いや正直に言えば、関与できない状況にある。

 電子出版関係でときどき世間を騒がせているのは、じつは出版社以外の企業であることも多い。もし学生の中で電子出版に興味を持っている人がいたら、出版社でバイトでもして編集の何たるかを身につけ、あとは大手印刷所、コンテンツビジネス、コンピュータメーカーなど電子出版をもくろんでいる大手企業に就職するのも一つの手かもしれない。

参考文献
  1. 浦山毅:電子編集のススメ―sedの活用、同成社、1998.
Contributed by Takeshi Urayama, Received Nobember 25, 2003.

©2003 筑波大学生物学類