つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 136-137.

連続特集:菅平高原実験センター

菅平高原実験センターでの院生時代をふりかえって

田村 憲司 (筑波大学 応用生物化学系)

 筑波大学菅平高原実験センターでの研究は、私にとって、研究の原点です。私は、弘前大学理学部生物学科を卒業した後、筑波大学修士課程環境科学研究科に進みました。そこで、現在は筑波大学名誉教授である岩城英夫先生に指導を仰いだところ、植物生態学、とくに植生遷移の研究フィールドを探していた私に、菅平高原実験センターの林一六先生を紹介して下さったのでした。それが、私が菅平高原実験センターで研究をはじめることになったきっかけです。はじめて菅平高原実験センターを訪れた際、上田駅を降りた私を林先生はわざわざ駅まで迎えに来て下さいましたが、そのときの光景は今でも鮮明に残っています。先生は手を挙げ「やあやあ。」といいながら、礼をする私を暖かく迎えて下さいました。そのとき、林先生は42歳でした。今からちょうど、20年程前のことです。現在、私は43歳となり、そのときの林先生の年齢を越えてしまいましたが、そのときの林先生と比べると自分の未熟さに愕然としてしまいます。

林先生と研究棟の前で

 菅平高原実験センターでの研究テーマは、菅平における草本群落二次遷移にともなう土壌環境の変化でした。林先生が二次遷移初期の植物群落の実験的研究をされているセンター内苗畑圃場を使わせていただき、草本群落の遷移初期の土壌のダイナミクスを明らかにするものです。その研究がもとで、博士課程農学研究科応用生物化学専攻に進学し、土壌科学を志すようになったのです。もし、菅平高原実験センターの林先生のもとで研究していなかったら、現在の私はないと思っています。人生において、すばらしい師匠と出会えること、それはその後の人生を非常に大きく左右します。私にとって、菅平高原実験センターは、そういった意味で、その後の人生が決定づけられたといってもいいほどの研究の地であり、林一六先生は、植物生態学の尊敬できる師匠であるのです。

 菅平高原実験センターでの研究は、非常に楽しいものでした。フィールドと直結した研究施設は、さまざまな研究分野のテーマの広がりを感じさせます。朝から晩まで自分の研究に費やす時間を自由に設定でき、研究について思索する十分な時間をも与えてくれます。それだけでなく、菅平高原実験センターで研究する院生達は、生物科学だけでなく地球科学、農学の分野の専門の人たちであり、いろいろな他分野の先輩や友人との日々のディスカッションが自分の研究の糧にもなっています。またそのときに研究をともにした先輩方とのつながりが、私の一番の財産となっているのです。生物科学系の町田龍一郎先生はじめ、多くの先輩、友人といっしょに語らえたことが私の研究の基盤ともなっています。

徳増先生とお酒を飲みました

 菅平高原の黒ぼく土の生成論的研究で学位をとった私は、その後も、教育・研究でたびたび菅平高原実験センターを訪れています。いろいろな分野の研究会が菅平高原実験センターで開催されていますが、私の研究分野であるペドロジー(土壌生成分類学)の研究会も菅平高原実験センターで開催させていただきました。1992年8月3日から6日にかけて、菅平高原実験センターにて「ペドロジスト・トレーニングコース」を開催しました。このトレーニングコースは、若手の研究者・技術者を対象として、土壌分類の背景の理解ならびに断面記載などの土壌調査技術の研鑽をはかることを目的としたものです。全国各地の30以上の機関から多数の人が集まり、林先生には、その講師にもなっていただきました。現在、その参加者の多くが土壌学分野の第一線の研究者となっています。

 菅平高原実験センターは、現在、非常に多くの研究者が教育・研究に利用していますが、若いときに菅平高原実験センターで研究し、そこが研究の原点になっている人も数多く、皆、いろいろな分野で活躍しています。私もその一人として、これからも頑張っていきたいと思っています。最後に、菅平高原実験センターでは、様々な方たちにお世話になりました。この紙面をお借りして、御礼申し上げます。

Communicated by Yuzuru Oguma, Received February 25, 2003.

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