つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 136-137.

連続特集:菅平高原実験センター

菅平高原実験センターで生物学野外実習を実施して

塘 忠顕 (福島大学 教育学部生物学教室)

菅平高原実験センターの野外実習に関わって・・・

 「熊が出るから気をつけろ!」はじめて菅平高原実験センターを訪れた生物学類2年生の時、センターの事務室の前で一番最初に言われた言葉です。しかも熊の剥製の横に立った熊のような先生から。今でもこの時の印象が強烈に私の頭の中に残っています。そしてもう一つ私の頭の中に強烈な印象として残っているのが、この時参加した野外実習で出会った先生方の眼でした。私が参加したこの実習は昆虫の分類、系統、形態、採集方法、標本の作成方法などを学ぶ実習でしたが、筑波大学所属の担当教官(芳賀和夫先生と町田龍一郎先生)以外に、実験センターで大学院時代を過ごされたOBの方々がお手伝いで実習の指導をしてくださいました。大変申し訳ないことに、今ではこの実習でどんな講話を受けたのかはほとんど忘却の彼方なのですが、実習中に芳賀先生、町田先生、OBの方々が虫の話をされるときのまるで少年のような眼は決して忘れることができません。

 4年生になって芳賀先生の研究室に所属し、それ以来大学院を修了した次の年までの7年間、私はこの野外実習のお手伝いをしましたが、その間も毎年必ず学外、学内からOBの方々数名がお手伝いで参加されました。どの方も皆さんやはり少年のような眼で虫の話をされましたが、私はもう一つ共通点を見つけたような気がしています。それは実習を担当される先生方やOBの方々の野外実習に対する思いとでも言ったら良いでしょうか。私には先生方が「野外実習に参加した学生たちには、知識や技術を習得させるだけではなく、生き物や自然を見る目も養わせてやりたい、これこそが野外実習の大きな目的なんだ」という共通の思いをもって指導されているように感じました。ですから私も、最後のお手伝いとなった菅平高原実験センターでの野外実習(平成7年度の動物分類学野外実習)を終えた時、「いつか自分もこのセンターで実施されているような、生き物を見る目、自然を見る目が養える、そんな野外実習をやってみたい」と強く思ったのです。

福島大学教育学部の生物学野外実習

 福島大学教育学部に職を得てから、福島大学構内で見られる植物の多くが、学生時代に私が菅平高原で見ていた植物と共通することを知りました。そして、私の担当授業科目である「生物学野外実習」を行うために必要な顕微鏡、図鑑類、生物の標本作製のための道具などが豊富に揃っていて、宿泊を伴う実習が行える施設が福島大学にはもちろん、東北地方にもないことが分かりました。そこで、福島大学教育学部の「生物学野外実習」を夏休み中に菅平高原実験センターで実施させていただくことにしたのです。長野県にある菅平高原実験センターは福島からは遠く、「生物学野外実習」は必修科目ではないですし、交通費・参加費も学生の個人負担なので、どれくらいの数の学生が参加を希望するのか、当初は不安でした。ところが実際は受講制限をせざるを得ないくらい多数の学生が毎年参加を希望してくれています。また、参加希望者が必ずしも「生物好き」な学生ばかりではないことも特徴です(毎年自称「大の虫嫌い」が何人もいます)。実習内容は、根子岳登山、高山・高原植物の観察、昆虫採集、植物標本や昆虫標本の作製、植生調査など盛りだくさんですが、 参加した学生は文字通り朝から晩まで、生物漬けの毎日を手抜き無しで過ごしてくれます。そして実習後に提出するレポートにこう記してくれる実習参加者が毎年数人います。「福島に帰ってから、自分の周りの自然や生物が目に留まるようになった。今までそれに全く気づかなかった自分がいたことと、今それに気づくようになった自分がいることにちょっと驚いている」と。

福島大学教育学部の『生物学野外実習』風景

理科離れしているのは誰か?

 「子どもたちの理科離れ」という言葉を最近よく耳にします。教育学部で教職を志望する学生たちと接していると、「理科離れ」と同時に「フィールド離れ」を強く感じる時がしばしばあります。例えば学生の中に実験・実習でフィールドに出ることを露骨に嫌がるものがいます。しかし、そもそも理科やフィールドから離れているのは、「子ども」だけなのでしょうか?  小学校の年輩の先生からこんなご意見を頂いたことがあります。「最近、理科の授業をやりたがらない小学校の先生が増えていて困ります。」あるいは中学校の先生からこんな悩みを聞いたこともあります。「生徒から花の名前や虫の名前をよく聞かれるのですが、自分も知らないし、図鑑で調べてもあっているのか自信がなくて・・・。」自分が教育を受けていない事柄を児童や生徒にうまく教えることはなかなか困難です。特にフィールドに出て実体験を積むことが必要な分野については尚更です。(教師は)学生時代にフィールでの実習体験がない→(教師は)経験がないからうまく教えられない、子どもたちをフィールドに連れていかない→(子どもたちは)先生に聞いても教えてもらえない、フィールドでの体験学習の機会が与えられない→(子どもたちは)自然って、理科って・・・よく分からないけど、まぁいいか→(子どもたちは)理科と距離を置くようになる。「子どもたちの理科離れ」はフィールド体験の欠落が原因のすべてではありませんから、これはちょっと極端な例ですが、私は少なくともこういった経路で生み出される「理科離れ」もあるような気がしてなりません。

 現在、教員養成を行っている大学や学部、あるいは学校現場では、野外実習を実施できる教員をどれくらい養成できているのでしょうか。野外実習などに参加し、少なくとも生き物や自然を見る目を養う機会をもったことがあれば、学校現場におけるフィールド体験を通して、子どもたちに理科や自然のおもしろさをもっと伝えることができるのではないでしょうか。子どもたちをこれ以上理科や自然から離さないためには、まずは教える側(に将来なるものも含めて)がもっと積極的にフィールドに出るなどして、理科や自然に近づいていくことが必要ではないかと思います(福島県の中学校教育研究会理科部会が、福島大学の地学、植物学、動物学のスタッフを講師として開催している臨地実技講習会には、毎年数十名の県下の理科の先生方が参加され、一泊二日の野外実習を経験されています)。

野外実習を実施するためには・・・

 とは言うものの、充実した野外実習を実施するためには、実習のプログラムを考えたり、必要な物品を用意したり、テキストを作成したりと、実習の目的に合致した適切な準備を行うだけでも大変な労力を要します。また、実習中はたった一人の教員だけで参加者全員の指導をすることはなかなか困難ですし、特に野外実習の場合は、目も行き届きませんから助教してくれる人材を育てること、あるいは実習を担えるスタッフを集めることも必要です(筑波大学の動物分類学野外実習ではOBの方々が助教の役割を担ってくださいましたが、福島大学の野外実習では私の研究室の学生や大学院生を教育して、助教してもらっています)。そして最も重要なのが、集中して野外実習に取り組める施設・環境の存在です。菅平高原実験センターのように、宿泊施設、講義室、実習室を含む施設や設備が備えられており、敷地内に生物種も含めた貴重な自然環境が存在し、一般人とはある程度隔離された環境で生物、土壌、水などを採集することが可能な施設(しかも参加者自らが食事を作る心配がいらない!)であればベストでしょうけれども、なかなかこのような施設は全国を探しても見つかりません。私はこの、適切な準備、助教スタッフの確保・育成、実施施設・環境の3つが揃って初めて、参加者が生き物を見る目、自然を見る目を充分に養える実習が実現可能になるものと思っています。この3つを揃えられないことが、大学や学校現場で野外実習があまり実施されていない現状につながっているのではないでしょうか。

結びにかえて

 子どもたちや先生方の理科離れ、フィールド離れがこれ以上進まないようにするためには、自然科学を実体験として経験できる野外実習の役割がますます重要になっていくはずです。したがって、こういった野外実習に対して最高の施設・環境を提供できる菅平高原実験センターの存在意義も今後ますます高まるに違いありません。学類・大学院時代を通じて菅平高原実験センターに育てられ、今もまたセンターに研究・教育を依存しているものの一人として、センターのさらなる発展を期待しております。

Communicated by Yuzuru Oguma, Received February 25, 2003.

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