つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 136-137.

学生諸君の輝いていた目

渋谷 達明 (元 筑波大学 生物科学系)

 一年程前、鹿児島大学理学部の担当教授の方から「先生のご専門の嗅覚の集中講義をぜひお願いしたいんですが・・」という連絡をいただいた。

 「筑波大学では定年になった先生には、原則として非常勤講師を依頼できない事になっているんですが・・。そちらの大学ではどうなっているのでしょう?」と、尋ねた。

 筑波大学では、この内規が現在もそのままかどうかは良く知らない。しかし二十年以上も前、私が研究科長の時に、七十才を越されていたある著名な発生学の先生に集中講義をお願いすることになった。全学の研究科長の委員会で、その名誉教授の先生をお呼びする理由や、先生のご経歴などをこまごまと説明し、どうにか了承された記憶があったからである。

 二、三日後、鹿児島大学からは、「事務にも確かめましたが、うちではそんなことはないようですのでよろしくお願いします。」と、返事をいただいた。

 「嗅覚の科学」という題で、日程は毎日数時間、それを四日間とのことだった。こちらも七十才に達していたので、立ちっ放しの講義中の教壇の上でふらついたりしてはちょっと困るという心配が頭をかすめたが、承諾することにした。

 二月だというのに鹿児島の街はだいぶ暖かく、大学構内のヤシの並木が印象的だった。初日、理学部や工学部の学生と大学院生で約五十名の聴講学生に、準備してきた厚目のプリントを配る。午前中は匂いの感覚の研究のいきさつや、多少歴史的なことから入った。学生諸君には、これまで聞いたことのない研究者の名前などがでてくるせいか、後の方では退屈そうな顔をしているのが何人か見える。

 嗅覚の生理学の研究でも、まずその形態学や組織化学的データが必要なことをカラースライドやOHPを使って説明し、それから機能的な話に及ぶ。なぜこんな実験方法を使うのか、またこの研究者はこんなちょっとしたアイデアに気がついたために、新しい発見ができたことなども話す。その頃からだんだんと学生の視線が、私の顔や黒板に集中してくるのがわかる。みんなすばらしい目の輝きを放っているではないか。

 だいぶ昔の若かった頃だが、私は一個の嗅細胞が匂いに反応して興奮し、その時発生するインパルスを記録するのに苦労していた時代がある。今のように便利な装置が市販されていない時だったし、細い良いガラス微小電極を作るのに、百本作っても数本しか使えないことも多かった。また何故こんな実験動物を使おうとしたのかなど、特に具体的な話には食い入るような目で聞いているのだった。休憩時間の時の質問も急に増えてきた。

 また昆虫からヒトまでのフェロモンの講義では、その匂いが生殖行動ばかりでなく、体内の生理現象をもコントロールしていることを、大半の学生諸君は知らなかったようだった。このことは遺伝子が作りだす匂い受容蛋白の最新の匂い分子受容機構に関することと共に、私自身にはちょっと意外なことだった。

 しかし九州の鹿児島にも、学問に対する旺盛な勉強意欲をもっている学生諸君がいることがとても嬉しかった。生物学類の学生に決してひけをとらない諸君である。

 青空に映えていた、対岸に聳える桜島の勇姿に印象と共に、とてもさわやかな気持ちで今回の集中講義を終わることができたことは幸いであった。

Contributed by Tatsuaki Shibuya, Received February 10, 2003.

©2003 筑波大学生物学類