つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 126-127.

特集:卒業・退官

生物学類での4年間

渥美 真砂子 (筑波大学 生命環境科学研究科)

 3月25日、卒業式のために集まった大学会館で私が非常に鮮明に思い出したのは、入学式のことでした。

 4年前、ちょうど同じように同級生たちが大学会館に集まり、学長先生の話を聞き、混声合唱団の歌を聴き、入学式を済ませたのです。あのころはまだ私も含めてみんなが、着慣れないスーツに身を包み、それまでの学生服とのギャップに喜びと緊張を感じていました。大学会館を出て二学の建物まで行こうにも、まず松見池でものすごいサークルの勧誘に驚き、もみくちゃにされ、やっとの思いでそこを通過しても今度は目的の建物がどの建物なのかわかりません。新しくできた友達とともにキョロキョロしながらさまよい、結局は自分たちではわからず通りがかりの人に目的地まで連れて行っていただきました。  さて、あれから4年。今ではみんなあの初々しさはどこにいってしまったのやら。2年目には松見池でもみくちゃにされるほうではなく、もみくちゃにするほうになっていました。つい1年前には「通りにくいし、迷惑だな」と感じたことも忘れ、何食わぬ顔でみんなサークルの勧誘に励むのです。最初はどこに行くにも道に迷いっぱなしでままならなかった構内にも慣れ、建物の配置も徐々に覚え、今ではみんなこの広い学内を所狭しと走り回っています。私にいたっては、去年から静岡県にある下田臨海実験センターに所属したため、本学に用があれば約260kmの距離を車で走り回るようになりました。広いといえば私にとってはあまりにも広い学校です。またスーツを着ても、みんな4年前とは何かが違って、年をとったといえばそれまでですが、そこそこ様になるようになってきました。“卒業生”という大きな顔をして、4年後、みんなが同じように集まったのです。

 でも、みんなただ年をとり、学校に慣れて大きな顔をして歩いているわけではありません。それぞれが、思い思いに努力してきた4年間があるからこそ、これだけ違った姿に見えるのだろうと思います。勉強を必死にがんばった人、サークル活動に非常に力を入れた人、仕事に面白さを見つけてバイトに励んだ人など、いろいろな4年間をがんばって過ごしてきているのです。

 私も考えてみれば、4年間でいろいろなことをしてきました。サークルでは劇団に入り、3年間で20本以上の芝居に関わってきました。役者で出演する場合は、毎日ある練習と他のことを両立させるのが辛くて、特に本番直前は張り詰めた空気の中で長時間の練習が続いたりするので、ついつい全てがおろそかになってしまうこともありました。でも、両立させてやりきってこその充実感です。根性を入れなおしてがんばりました。バイトも料理好きが影響して、ケーキ屋で仕事を始めました。それから一年半後、バイトをやめるときには7kg増量していた私ですが、仕事は楽しく、自分なりに精一杯のことができたと思います。ケーキ屋が忙しいのはイベント時。クリスマスもバレンタインもホワイトデーも、自分の時間は返上で、寝る間も削ってバイトとやるべきことを両立させました。なんでもがんばったらがんばっただけ、やりきったときの充実感は格別です。サークルもバイトも、本当にやっていてよかったと思っています。充実感ももちろん得られましたし、いろいろなことが勉強になって自分にとって非常にプラスになったと思います。今でも週に一回はケーキを食べてしまう習慣が消えませんが。

 そして3年の終わり近くになって、下田センターに常駐することを決意した私は、サークルも1年早く卒業公演に参加し、バイトもやめ、はるばる下田まで引っ越してきました。それから一年間、最初は新しい生活や知識に夢中になり楽しくてしかたがありませんでした。特に恵まれた自然に囲まれた環境では、学問的なことだけでなくいろいろな点で、毎日が知らなかったこと、新しい経験づくしでした。でも研究に関しては、自然が相手です。なかなか思うようにうまくいかず、辛いこともたくさんありました。どうしたらいいか途方にくれることもよくありました。でもなんとかがんばりきって、卒業研究という形までこぎつけることができました。研究はある意味自然との根くらべです。あきらめたり投げ出せばそこで終了です。なんとかぎりぎり、1年間根くらべを続けられました。

 忘れてはいけないのは、この4年間、私がこうしてがんばってくることができたのは、私を支えてくれる人達がたくさんいたからです。それは親兄弟だったり、先生方だったり、仲間たちだったり、それこそこの4年間に関わってきた全ての人達に、私は支えられっぱなしでした。なんでもがんばってこられたのは、そのおかげです。楽しかったのも仲間がたくさんいたからです。本学にいたころは、勉強、サークル、バイトと仲間たちと励ましあい、助け合って楽しく全てをこなしてきました。下田に来てからは、同級生は一人もいませんでした。でも温かく支えてくれる先生方、親切な職員さんたち、頼りになる先輩たちがいて、本当に日々助けられました。全く知らないところへ来て、あっという間に楽しく過ごせるようになったのもセンターの方々のおかげ、うまくいかない研究を何とかまとめられたのも、先生のアドバイスや先輩の励ましがあったからこそです。でもこれはきっと私だけではありません。こうして大学を卒業していくみんながこの4年間、多くの人に支えられてがんばってきたのです。

 私たちは卒業し、これからはそれぞれ違った道を進んでいきます。これから先はおそらく今までよりももっと大きな、辛い壁が待ちかまえていると思いますが、みんなこの4年間にあったこと、努力してきたことを忘れずに、その壁に立ち向かっていくと思います。私たちはまだまだ若いです。きっと無茶もします。その度にまた、たくさんの人に支えられてそれを乗り越えて進んでいくと思います。大学院進学の人も多いので、おそらくまだまだ同じ先生方に迷惑をかける人は多いでしょう。でも、どうかこれからも、私たちにあきれず付き合っていってください。そして大学での仲間は一生モノです。これからも励まし合い、支え合っていく仲間でいてください。

 そしてこれからまだまだ卒業に向かってがんばっていく生物学類生の皆さん、多くの人に支えられながら、できる限りのことをがんばってみてください。失敗しても後悔しても、卒業するときにはきっと全部がいい思い出ですから。

編集部註: 渥美真砂子さんは平成14年度生物学類総代を務めました。

Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received April 11, 2003.

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