つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 124-125.

特集:卒業・退官

4クラ担任を終えて

濱 健夫 (筑波大学 生物科学系)

 筑波大学に赴任して2年目を迎えようとする時に、当時の学類長であった小熊先生より、新入生のクラス担任をやって欲しい旨の依頼がありました。私はそれまで長く大学の研究所におり、おつき合いは大学院生以上に限られる様な「高齢化社会」で日常を過ごしておりました。大学生でしかも高校を出たばかりの学生さんと、どの様につきあったらよいのかも分からず、まして履修科目、単位等の学務に関する知識は全くありませんでした。そのことを小熊先生にお話ししますと、「やってみなければいつまでも分かりませんから」とのお返事で、「それもそうだ」と、お引き受けしました。

 ただ、名前だけのクラス担任ではなく、ホームルームのような時間も存在する学生と担任との関係には、「小中学生じゃあるまいし」、といった思いを抱きました。その思いは今でも払拭されたわけではありません。

 それから4年間、学生さんとのつきあいはともかく、学務に関して得た知識はほんのわずかなものであり、結局「やってみてもわかりませんでした。」学務に関しては第二事務区の川島さんに、すべて依存してしまいました。川島さんからは、単位修得の芳しくない学生さんについて、「呼び出して注意するように」、との連絡をしばしば頂きました。でも「問題があることは自分自身が一番良く知っているだろうし、また、大学生に対して、どうすれば良いかを担任が教える必要はないだろう」、との思いが強く、指導については余り熱心ではありませんでした。私に呼ばれた学生さんは、「かなりの」程度だったことになります。

 そんな「呼び出し学生さん」のほとんどが、留年もせずに卒業に至ったことは、私にとって、失礼ながら驚きでした。「気持ちを入れ直してやってみよう」と励ます反面で、授業に出ない習慣がついてしまった学生さんたちは、そのままズルズルと時間が経過し、留年や退学に至ってしまうのではないだろうか、と内心では思っておりました。卒業式後の謝恩会の場で彼らと話しながら、自分を律する力がどれだけ重要かについて、再認識しました。

 物事がうまく進んでいるときは、その波に乗ってさらに先に進むことは簡単ですが、うまく進まないときに自分を立て直そうとする際には、土台となる自分をしっかりと律することが重要です。これは、分かってはいるのですが、いざとなると簡単ではありません。ほとんどの「呼び出し学生さん」が、自身を立て直すことができたことは、私にとっても予想外であり、またうれしいことでした。

 卒業式の日に私が違和感を持ったのは、「大学を卒業し友人や先生と離れる」という感覚が卒業生に希薄なことでした。その理由は、卒業生のかなりの人たちがそのまま筑波大学の大学院に残り、今後もこれまでと同じ友人関係、師弟関係が続くことになるからでしょう。大学の卒業は、生物学類の卒業生の多くの人たちにとって、さほど大きなことではないようにすら感じました。私が大学卒業した頃は、教職に就く学生が比較的多く、また私自身が他大学の大学院に進学することもあり、大学の卒業は大きな変化点でした。

 私は大学で植物プランクトンを中心とした湖沼での生産生態学を学びました。大学院に進学する際に指導教官の先生から勧められて進学した研究室は、水の中の学問という点では共通していましたが、「有機地球化学」という、有機化学を手法として地球の現象を扱うところでした。そこでは、生物は単なる「生きた触媒」としての役割を持つのみでした。「生物にとってどんな意味を持つのか」が、それまでの考え方の基本であった私にとっては、大きなカルチャーショックであり、悩み苦しむ時間を過ごしました。ただ、今振り返ってみると、大学院進学時に、ものの見方を大きく変えることを余儀なくされることにより、自分の研究のオリジナリティーにつなげることができたと思います。価値観の違う研究室に進み、新たな指導者につくことが、視野を広げ、また新たな方向性の芽生えにつながったのだろうと思います。

 筑波大学の大学院に進み、卒業研究で指導して頂いた先生にそのまま師事することで、研究者への道を早くスタートすることができます。これは一面では非常に好ましいことですが、皆さんの視野を狭め、価値観の固定化につながる可能性も大きいと思います。目前の研究課題だけに没頭することなく、広い視野をもち、多方面の研究に対して興味を持つことを、常に心がけることを希望します。

Contributed by Takeo Hama, Received April 3, 2003.

©2003 筑波大学生物学類