つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 122-123.

特集:卒業・退官

クラ担のクラス自慢? 卒業生に贈る独断と偏見に満ちた独り言?

白岩 善博 (筑波大学 生物科学系)

 平成11年(1999年)4月に一年3クラスの担任となった。私はこれまで、大学では学生としても教官としても担任制度の経験が無く、全く始めての経験となった。当初は、大学生にもなって担任とはーなどと多少批判的に捉えており、きめ細かな教育手段というより過保護的な制度との印象を強くもっていた。ともかく、筑波大学の特徴ある教育制度の一つとして理解し、その義務を果たそうとことに当たった。それでも、1学期のフレッシュマンセミナーやたまにはコンパをやったりするうちに妙にクラスの学生に対して特別な親近感が湧いてきたことを憶えている。そして、2・3学期のクラスセミナーの中で21人の学生と毎週顔を合わせ、何やら議論したりするうちに、この連中をちょっと鍛えてみようかーなどと思ったりもして、妙なことだが、“自分の学生”としての感情がその学生たちに対して芽生えてきたのには我ながらいささか驚いたことであった。もっと他のクラスとの交流を積極的に進めるような機会を設けることができれば、学年全体を“我学年”と強く認識できたのではないかと少々残念でもある。

 最初のイベントであるクラス代表の選出では、沖縄出身の学生が自ら進んで代表を引き受けてくれた。「近くに誰も知り合いが居ないので友達をつくるための機会として引き受けます」と言ったと確か記憶している。同僚に代表を決めるためのくじを作っていった方がよいなどと聞いていたが、その必要もなく、何よりも自主的な申し出によって決まったことは実に嬉しいことであった。彼女はその後もクラスの雑用係を大いに引き受けてくれ、3クラスを「実に中の良いクラス(と本人達が言っている)」と評判のクラスにしてくれた功労者の一人である。初対面の日に全員に自己紹介をしてもらったが,不思議とその内容を今でもよく記憶している。また、クラスコンパの出席率が実に高いのもこのクラスの誇るべき特徴であったことも是非記憶にとどめておきたい。

 「彼女を作るのが第一希望です」といみじくも述べた男子高出身者は、その念願がかなったと4年後の卒業式の日に聞いた。身を浄めるために平砂宿舎の池に飛び込んだりもしたらしいが、慶賀にたえない。茶髪の彼はバンドをやっていたと言い、確か札幌ススキ野の近くで育ったと聞きそのモダンな容姿とスマートな雰囲気から妙に合点したのを憶えている。楽器も依然として続け、4年になって菅平に行ったと聞いた時はいささかの驚きを感じた。学生の見かけと専攻分野に関係があるはずも無いが、入学した時からの興味であったと謝恩会で聞き納得した。彼に加えて、池永、井上、宮口は背が高く、学年でも非常に目立った背高集団であることを4年経った追い出しコンパで発見し、古矢が居ればもっと我クラスが目立ったのになどとつい思ってしまったのは担任という人種の不思議な習性の一つであろうか。マンチェスター大学に留学した二人の学生は実に積極的で、明るく、海外生活を心から愉しみ、今後の糧となる多くのものを吸収して帰ってきてくれた。彼女等の帰国の年から国際交流担当となった私の両腕としていろいろなことをやってくれており、大学院進学後も学生スタッフとして力になってくれるものと期待している。

 髪が平安人のように非常に長く目立った学生が居た。冬も近くなった頃のクラスセミナーで(と思うが)「私、髪を切ります」と聞いた。その後もその気配が無かったので、改めて卒業式の日に問うてみたが、「そんなことを言ったことは無い」と言うことであった。我ながらそんな細かいことをよく覚えていたなとは思ったが,なにか勘違いしていたらしい。社会に出ても持ち前の明るくやさしい性格で元気にやってくれると思う。フレッシュマンセミナーで名前を呼んだら、「もう少し小さい声でお願いします」と細い声で言ったクラスの人気者も大学を離れる一人である。卒業式間際に2回も単位と駐車違反の判子をもらいに来た彼と合わせて、当クラスからは3人が直ちに社会に出ることになっており、健闘と健康を切に願わずにはおれない。

 クラスセミナーでは、何をやったら良いか分からなかったこともあり、英語のテキストを読ませてみようと思い立った。丸善に交渉して為替相場を見ながら発注するなどの努力をしてもらい、できるだけ安くする努力をして7000円程のIntroductory Botany と言うテキストを強制的に買わせた。27章からなるこのテキストから各自好きな章を一人に1章ずつ割り当て、1回に2人ずつ発表してもらった。みんな一生懸命取り組んでくれて何がしかの成果があったと思っている。我クラス(既に自分のもののように思ってしまった訳だが)では他大学も含めて大学院で植物系に進学する学生が4人おり、そのメンバーはいずれも講義や実習での様子から判断した私の予想とそれ程離れてはいない。その中の一人から「実は動物をやるつもりでここに入ったのに先生のおかげでで(せいでーと言ったかもしれないが)」と聞かされた。「後であれはやっぱり間違いであった」などと思うことのない学生(と思っている)なので、教師としては自己満足的ではあるが褒め言葉として聞いた。人の一生を左右する恐さはあるが、「道を示す」のが教師の仕事と考えれば、実に教師名利に尽きる言葉と思っている。

 7000円の本にはみんな満足したかと勝手に思い込んでいたが、実は「なんでBotanyなんだ、せめてBiology にしてくれれば良かったのに」と言っている一群が居たと聞いた。それは誰かは全く分からないが、今度医学修士や医学部に入学することになった学生が4人おり、かれらの興味とはいささか離れていたかも知れない。実に納得できる話ではあるが、それは特に気にすべき問題とも思っていない。前任校では医学部進学課程の指定科目として「光と生命」に関する講義を担当していたが、敢えてその理由を聞いたとき、「専門課程に進んだら動物づけになってしまうのでせめて教養課程では植物を勉強して欲しいという医学部側の希望がある」と聞かされたことがあったからである。大学においては,専門家の専門的な話に触れることに価値があるものと信じているので、敢えてBotanyを選んだつもりである。各々が7000円の元をとってくれたものと信じたい。

 1年生で入学したときから、単なる希望ではなく,ハッキリとした目的としてその進路を口にした学生を、男女含めて少なくとも3人は記憶している。それぞれ、動物の行動、免疫そして脳や神経に関する研究を希望していた。彼等は実に精力的で、いずれも熱心にかつ画たる目標を持ってこれまで進んできており、脇から見ていて軸足のぶれを感じたことは無い。壁に当たることは当然あるだろうが、今後も信念を持って望む道を進んでもらいたいと切に願っている。

 3クラスのクラスセミナーはこの様に堅いものであったが、途中で顔を見せなくなった学生が2人でてきて心配したことがあった。一人は何時もにこやかな学生で、元気でいることだけをその友人に聞いて放っておいたが、その後は問題なく(と思っている)復帰し、今度修士課程に進む。しばらく会わなかったが,卒業コンパの時に久しぶりに顔をみた。実は当方の卒研生と仲が良いと初めて聞いたが、当時、私の代謝生理化学実験を聴講しない学生が突然卒研を希望してきたので驚いたが、彼女の影響があったのかも知れない。もう一人は、別の道を歩みたい希望があるようで留年することになった。獣医の道を志望しているとのことである。自分の希望する道に進むにはなお相当の努力が必要であるが、念願成就を切に願っている。一方、卒業生として上の学年からの学生が一人加わり、3クラスの卒業生は、合計21人となり、入学者数と数のつじつまだけはきちんと合っている。彼の進路は未定となっているようだが、一年生から4年間つきあった学生と合わせて、今後の健闘を心から祈りたい。

 担任は持ち上がりで,4年間同じクラスの担当を続ける仕組みとなっている。しかし、 3−4年次では実質的な仕事はなく,単位を取り落したり,何か問題が起こったときの判子押しとしての役割が主となっており、まともにやっている学生についてはしばらくは顔も見なくなることになる。4年生ともなれば,卒業研究の指導教官がいるわけで、いまさら担任の出番でもないわけだが,判子押しの役目だけは残っている。不思議と学務からの連絡も担任宛に届くようであった。3年次生のときであるが,残念なことにバイク事故にあって入院を余儀なくされた学生がおり、事務方やご両親との対応に追われたことがあった。本人もつらい思いをしたと思うが,まわりも大分大変な思いをした。クラブ帰りのちょっとした時間に起こった実に残念極まりない事故で、ちょっとした経験ではすまないほどの影響があったと認識している。この彼には是非とも語り部となってバイクの怖さについて下級生に伝えていって欲しい。この件は4年間の担任生活において,唯一の悔やまれる出来事となった。

 卒業に際し,改めて3クラス生の発展を心から祈っている。中には確実に筑波大学の名声を高める仕事をするであろう学生がいることに疑いはない。これからも、入学時にはにかみながら語ってくれた夢の実現に向けて、また、その後芽生えた新たな希望の実現に向けて着実に進んでいくことを心から願っている。10年ほど経ったときに,その後の発展を聞くことを今から独り楽しみにしている。

Contributed by Yoshihiro Shiraiwa, Received April 7, 2003, Revised version received April 16, 2003.

©2003 筑波大学生物学類