つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 120-121.

特集:卒業・退官

2クラスの担任を勤めて

沼田 治 (筑波大学 生物科学系)

 平成15年3月25日、私が担任をした4年2クラス23名のうち18名が無事卒業した。残りの5名のうち2名は海外留学中で、3名は残念ながら留年であった。めでたく卒業する学生達の名前を読み上げながら、4年前の4月、彼等と始めて対面した時のことを思い出した。希望に目を輝かす学生達の中に、話す時に目をそらす学生、斜に構えた学生、開き直っている学生などなど、心に引っ掛かる学生の多さが気になったものであった。あまり当たってほしくなかった予感であったが見事に的中し、このクラスの半数近くの学生は私に取って大きな心配の種になった。

 ある日、学務・学生担当の川島さんから「このまま学生に任せておりますと卒業することはおろか‥‥」うんぬんという文書をもらった。3年生全体で「指導が必要と思われる学生は‥名」であるのでよろしく御指導下さいという内容である。添付されている2クラスの学生名簿を見て私は絶句した。3年生全体の要注意学生の半数以上が我がクラスの学生であった。私が2クラスの学生にどのような指導をしてきたか胸に手を当てて考えてみた。1年生のフレッシュマンセミナー、クラスセミナーで思い出すことはバレーボール、ソフトボール、サッカー、スポーツばかりやっていた。スポーツが好きな学生は良いが、スポーツが苦手な学生は大変だったに違いない。しかし、待てよ、要注意の学生のほとんどはスポーツをする時は水を得た魚のように生き生きとした顔をしていた。コンパの時も必ず顔を出し、屈託のない顔をしていた。1人1人の顔を思い出すと、転学類を希望したが思い通りに行かなかった学生、クラブに生活の全てをかけた学生、将来のことが見えなくて悩んでいる学生。自分の若いころを思い出すと共感できるところが沢山あった。それまでも学生たちを私のオフィスに呼びいろいろ話していたが、話し合い路線を徹底して各自の思いや考えを知るように努力した。学内で出会えば声をかけ近況を聞き、悩みがあれば話を聞く時間を作った。もちろん川島さんの指導で私のオフィスを訪れる学生もいた。

 オフィスで穏やかに話を聞いた学生が大部分であったが、大きな声で怒鳴り付けた学生もいた。怒鳴り付けるエネルギーは大変なもので、凄く疲れたことを思い出す。卒業式の時、その学生の名前を呼び上げて私はとても嬉しかった。人間不信というよりも教師不信になっていた学生と語り合い、気持ちが通じた時のことを私は一生忘れない。恥ずかしがりやでうまく自分が表現できない学生もスポーツをする時は目が生き生きと輝いていた。車の事故を起こしたりでちゃらんぽらん見えた学生がとても他人にやさしくて思いやりがあるのを知って胸があつくなった。コンパの世話役を4年間勤めてくれた学生、4年間バレーボールのために体育館の手配をしてくれた学生、スリムな体からすばらしいサーブを打つ学生、何をやっても不器用でエールを送りたくなる学生、気合いの固まりでめちゃくちゃ目立つ学生、ひよこレースを企画した学生、コンピューターが飯より好きな学生、大学講堂の中でもどこにいるかすぐ分かる学生、モンゴルにいってしまった学生、みんな個性的ですばらしい。クラスセミナーでみんなが調べた話もとても印象深かった。「芋虫から蝶へ」、「椎名林檎のこと」、「腸内細菌のこと」、「ホームページの話」、「お酒のはなし」、「花粉症のこと」、「マラソンレースのこと」、「睡眠の話」、「ペンギンの話」などなど。クラスセミナーの話が発展してあるいは関連して、卒業研究のテーマになった人もいた。もちろんテトラヒメナを研究の材料に選んだ学生もいた。海外留学している学生がどのように成長して帰国するかも愉しみだし、留年している諸君が元気に卒業することを心から願っている。

 思い出してみると楽しいこと、困ったこと、怒ったこと、嬉しかったこと、いろいろあったが本当に良いクラスだった。4月から2クラスの諸君は社会人になったり、大学院に進学したり、各々の道を歩み始めた。みんな大きな志を持って悔いのない人生を送ってほしい。皆の成長と活躍を私はとても愉しみにしている。そして何よりも、研究至上主義で「実験だ。」、「論文を書け。」、「学会発表の準備だ。」といっていた人間に大学教官も教育者であることを自覚させてくれた諸君のことを、私は心から感謝する。2クラスの諸君、本当にありがとう。

Contributed by Osamu Numata, Received April 22, 2003.

©2003 筑波大学生物学類