つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 118-119.

特集:卒業・退官

平成14年度、生物学類卒業生への祝辞

林 純一 (筑波大学 生物科学系、生物学類長)

 4年生の皆様、ご卒業おめでとう。入学したときは、まだどこかに少し子どもっぽい面影を引きずっていたのに、本日の卒業式を迎え自信に満ちた精悍な顔つきになり、社会に出る準備がすっかりできあがったようだ。もちろん生物学類生の約75-80%は大学院への進学者であり、全学で最も高い進学率を誇っている。進学によってプロの研究者を目指すだけでなく、場合によっては自分をゆっくり見つめ直す時間に使うこともできる。何も慌てて自分の職業を決める必要はない。しかし、進学者といえども2年後、又は5年後には社会に出ることになる。

 社会に出るとこれまで以上に嫌なこと、興味がもてないこと、好きではないこともやらなければならない。しかも「やりたいこと」と「やるべきこと」が違う場合の方が多い。そして、社会が強く要求するこの「やるべきことをやり通す力」のあることを証明するのが、本日皆さんにお渡しした筑波大学生物学類の卒業証書なのである。なぜ本学類の卒業証書が「やるべきことをやり通す力」を証明できるのかというと、生物学類のカリキュラムの中には興味をもてない分野の授業があったはずであり、にもかかわらず皆さんは決して途中で投げ出さすことをせずに見事に履修を完了し、けじめを付けたからである。これは社会に出ても極めて大切なことで、皆さんは筑波大学生物学類に入学することができ、かつそのカリキュラムをきちんと最後まで履修できたからこそ社会はそれを高く評価してくれるのである。

 本学類卒業証書の価値はそれだけではない。皆さんは筑波大学生物学類に入学できたこと自体で、すでに社会が要求する「偏差知的学力」、すなわちやるべきことを理解し遂行できる能力は十分に備わっていることを証明したことになる。しかし社会が要求するのは、実はこのような受け身の学力だけではない。「偏差知的学力」はあくまでも最小限必要な基本的学力なのである。それに加え、「問題点を自ら見つけ、それを探求心や創造力を持って解決できる学力」こそ社会が求める真の学力なのである。生物学類のカリキュラムでは、授業だけではなく、実験・実習、卒業研究を通して、卒業までにこのような学力を十分に獲得することを重要視している。したがって、この筑波大学生物学類の卒業証書は、皆さんがこれらの両方の学力を同時に持つことを社会に対して証明するものなのである。

 ただし、皆さんも経験済みのように、生物学類の基本目標は研究者と教育者の養成である。したがって、私たちのカリキュラムは手に職をつけること、すなわち「役に立つ技術」を身につけることを目的としていない。皆さんはもしかして、生物学類に入学して「役に立つ技術」を身につけずに社会に出ても大丈夫なのかという不安を持ったかも知れない。しかし、もうお気づきのように私たちの教育の最も重要なセールスポイントは「役に立つ技術」ではなく「科学する能力」を身につけることなのである。「科学する能力」は、皆さんが大学院に進学して研究者になったり教育者になるには、当然必須のものである。ところが、この「科学する能力」は何も研究者や教育者にだけ必要なのではなく、実はどのような職種にも必ず要求される極めて重要な能力なのである。これは、先に述べた「問題点を自ら見つけ、それを探求心や創造力を持って解決できる学力」とまさに同等であり、21世紀の社会ではどのような職種であれこのような「科学する能力」がますます要求されるようになるはずである。したがって、生物学類で生物学を学んだのに、生物学とは直接関係のない職業に就く学生がいても決して不思議なことではないし、事実思いがけない職種で大活躍している生物学類卒業生はたくさんいる。即戦力となるような「役に立つ技術」を教育されたグループとはひと味違った魅力を皆さんは提示できるはずである。

 このように、「科学する能力」とその重要性を教育されたこと、刷り込まれ続けたことこそが生物学類卒業生の原点であり、アイデンティティーであり、他の卒業生との際だった違いなのである。このアドバンテージをこれからいつまでも大切にしてほしいし、万が一自信をなくした時や漂流を始めた時は、是非この原点に立ち返ってほしい。そして青春時代の自分の努力の結晶である生物学類卒業証書を眺め、もう一度自信を取り戻して出発し直してほしい。

 さて、社会に出ると生き馬の目を抜くような激しい生存競争に身をさらすことになる。そこにはこれまでに経験したこともないびっくりするような非情な「原理原則」が存在している。これまで家庭や学校で重要視されてきた「平等の原則」は時として、とりわけ権力や金の前には全く力を持たない場面に必ず遭遇するはずである。道理がすっ飛び、理不尽なことがまかり通る世界である。またこれまでのように何が正解で、何が正しくないかという明確な線引き、善悪の線引きは存在せず、市場原理のみが一人歩きしている。そして競争社会に存在するこのような原理原則の非情さや理不尽さを正していくことも大切だが、それ以上にその原理原則を学び取って早く「織り込み済み」にし、それを覚悟の上で行動することをお薦めしたい。その場合、失敗は恐れないでほしい。大切なことはその失敗をどのように次ぎに生かすのかということ、同じ失敗を二度繰り返さないよういかにフィードバックするかという知恵を養うことである。あるいは二度同じ失敗繰り返すにしても、あらかじめそうなる可能性を十分に覚悟した上で行動してほしい。社会の中にあるさまざまなハードルから決して逃げずに、皆さん自身の英知を持ってクリアしてほしい。そして皆さんならそれができることを、お手元にある卒業証書が証明しているのである。

 最後に一つお願いがある。生物学類の後輩のために、皆さんの人生の節目節目に「つくば生物ジャーナル」に原稿を寄せてほしい。国立大学の法人化を1年後にひかえ、いかにクオリティーの高い教育を生物学類生に提供できるかがこれからの私たちの重大なポイントとなる。皆さんが筑波大学生物学類卒業生として社会に出て、過去に生物学類で自らが受けた教育を振り返った時、改善すべき点など、何らかの提言をジャーナルに投稿してほしい。すでに昨年のこのジャーナルの創刊号[1]で述べたが、生物学類生が現在必要としているのはより洗練されたカリキュラムの他に、自分と同じようなカリキュラムで教育を受けた諸先輩がどのような職種でどのような活動をしているのかという最新情報である。生物学類生の中には自分の将来に対して不安を持つと同時に、今何をすべきなのかということに対し明確な方向を見出せないでいるケースが少なからずある。しかし生物学類は実に多様な若い才能、資質の宝庫であり、彼ら一人一人の素晴らしい個性にフィットした職業は必ずあるはずである。先程、「科学する能力」を身につけることが私たちの根元的教育目標であると述べたが、これと同じ能力、同じ価値観を刷り込まれた先輩たちが、社会に出てそれをどのように評価しているのか、私たちとしても是非知りたいところである。価値観がめまぐるしく変化する現代社会の中にあって、実際にどのような職種があり、それぞれが具体的にどのような能力を要求しているのか、大学にいる私たちも学生も正確に把握できているわけではない。だからこそさまざまな職種の、さまざまな立場の先輩たちの現場からの(例えば参考文献[2]のような)生きたメッセージが生物学類生には必要なのである。また私たちも卒業生の皆さんからのメッセージを生物学類のカリキュラムにフィードバックさせることで、ゆるぎない自信を持って新入生に生物学類のカリキュラムを提示することができるようになる。

 皆さんには卒業後も私たち生物学類との関係を断ち切ることなく、連携して生物学類の発展にも積極的に関与するようお願いすると同時に、教職員一同、皆さんの今後の活躍と発展を心からお祈りする。

参考文献
  1. 林 純一:つくば生物ジャーナル、Tsukuba Journal of Biology 創刊の経緯. つくば生物ジャーナル 1:2-3, 2002.
  2. 浦山 毅:連載:編集者の仕事、第3回 編集者に求められる資質. つくば生物ジャーナル2: 36-37, 2003.
Contributed by Jun-Ichi Hayashi, Received March 28, 2003, Revised version received April 3, 2003.

©2003 筑波大学生物学類