つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 128-129.

特集:卒業・退官

大学モラトリアム満喫生活を終えて

中尾 優希 (筑波大学 生命環境科学研究科)

 卒業式の翌日、母を車に乗せて、慣れ親しんだ大学構内を案内した。ちょうどその日は後期試験で入学を決めた新入生の入学手続があり、彼らの初々しくきらきらした顔を見ながら、ちょうど四年前、同じように入学手続きに来た日を思い出した。浪人の末、やっとかなえた筑波大学への入学、あの日の私の顔も、きっときらきらと希望に満ちていたに違いない。4年後の今、あの頃とはいくらかは違えども、決して負けないくらい希望に満ちた気持ちでこの生物学類を卒業する自分がいる。  一の矢宿舎の前のバス停まで来たとき、一人暮らしが始まったその日のことを思い出した。宿舎への入居を手伝ってくれた母をバス停まで見送ったときのこと。これから始まる生活に不安などひとかけらもなかったのに、なぜか目には涙か浮かんでいた。あの日のことを思い出して少し感傷的になっていると、助手席に座っていた母も同じようにハンカチで目を押さえていた。わたしの宿舎生活は長くはなかったが、新学期早々、その後の大学生活を象徴するかのようなハプニング続きで泣きそうだった毎日も、今では笑い話にできるくらい良い思い出である。

 家に帰れば家族がいて、その日にあったことはすべて話していた生活が、一人暮らしが始まれば「おかえり」を言ってくれる人もおらず、まさに「咳をしても一人」「鴉啼いてわたしも一人」という生活が待っているものだと思っていた。また、高校までの私にとって、部活のない生活など考えられず、中学・高校での思い出といえば部活での苦楽の日々、一番の友達といえばその苦楽を供にした面々が浮かぶ。充実した毎日といえば、部活に打ち込み、疲れきる生活であった。部活にさえ所属しなければ、180度一転したのんびりとした大学生活が送れるものと思っていた。しかし始めてみれば、寂しさとは無縁、部活一本の生活とはベクトルの全く違う忙しさで1日があっという間だった。咳をしても笑って飛ばしてしまうくらい、毎日を謳歌していた。

 そんな充実した生活を送っていてもふと、「大学生活の中で、高校までの部活のように一貫して何か一つこのことに打ち込んだものがあっただろうか。」と不安に思うこともあった。しかし、“何か一つ”ではなく、様々なことに一生懸命になったこと、悩みに悩んだこと、この4年間での数えきれない経験から、これからの人生へのカンフル剤となるであろう、とても多くのことを得たという自信がある。それは、もちろん(?)勉学であり、初めての一人暮らしであり、初めて家族以外の人間にありのままをさらけ出した友達であり、初めての留学、海外生活(これについては生物ジャーナル創刊号[1]を御覧ください。もちろん、誌面では語り尽くせないくらいの経験であったのですが)であり・・・

 つくばという特殊な環境もまた、わたしの大学生活に大きな影響を与えた。8時すぎに起きても十分間に合うところにほとんどの学生が一人暮らしをしていること、授業をさぼっても何もすることがない環境、すっぴんはもちろん、体育のジャージのまま一日過ごしても何ら違和感のないアットホームな雰囲気。忙しいながらも、この環境は気持ちに少しだけでも余裕を与えてくれていたように思う。余計なことは考えず、悩みたいことを悩みたいだけ考えさせてくれる。同じように一人暮らしをし、休みの日までほとんど毎日顔をあわせる友達とは、何度も夜を徹して話しをし、悩みを相談し、意見を交換しあった。たくさんある選択肢の中で同じ生物学に興味を持ち、奇遇にも同じ筑波大学に入学してきたが、もちろんそれまでの人生は短いながらそれぞれ全く違うものであり、自分の中での常識、全くあり得なかった考え方にはっとさせられっぱなしであった。似た者同士の中の違う面は、自分でも驚く程わたしの中に響き、刺激され、励まされた。よく、大学生活はモラトリアムであるといわれるが、まったくそうであると思う。特に、浪人という足踏みの一年を経験したわたしにとっては、高校を出てすぐに働き始めた友達を見ると、いつの間にかできてしまった見えない距離を感じてしまうこともよくある。しかし、わたしと、少なくともわたしの知る限りの友達の大学モラトリアム生活の4年間は、決して背中をまるめてすごしたわけではなく、何ごとにも必死にぶつかり、悩み、楽しんだ、またとない、誰にでもできるわけではない貴重な時間であったと思う。これからまた共につくばに残り、大学院へ進む友達もいれば、予想もしなかったような道へ進むことになった友達もいる。いつまでも一緒にいられると思っていたが、これからはそれぞれ知らない世界へ飛び込んでいく。そんな友達はこれからもわたしを刺激し続け、磨きあっていけるだろう。彼らはみな、まさに一生の友達、一生の財産である。

 入学当時は広すぎるキャンパスを自転車で探検し、時には宿舎に戻れず迷子になったこともあったが、今ではこうして母を車に乗せて構内を案内している。入学手続きをすませた帰り道であろう、すこし緊張もほぐれたような新入生を見ながら、これから始まる彼らの想像もできないような希望に満ちた大学生活を応援する気持ちになった。そしてこれからは、希望だけではなくしっかりと現実を見据え、自分の踏み出した、未だ道とも言えない道を、自分で切り開いていかねばならない。そんな引き締まる思いを胸に、春からは筑波大学大学院生命環境科学研究科に入学する。

 最後に、この4年間、わたしの生物学に対する好奇心をさらにかき立て続けて下さっただけでなく、人生の先輩としてのヒントを見せて下さった先生方、様々な刺激を与え続けてくれた友達、無鉄砲で心配かけ放題の娘を遠いところから見守り、サポートし続けてくれた家族に、心から感謝の気持ちを伝えたいと思う。

参考文献
  1. 中尾優希 つくば生物ジャーナル 1:98‐99,2002.
  2. Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received April 7, 2003.

    ©2003 筑波大学生物学類