つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 154-155.

連続特集:菅平高原実験センター

菅平高原実験センターにおける生態系炭素循環の研究

鞠子 茂 (筑波大学 生物科学系)

はじめに

 菅平高原はスキーやスポーツ合宿の地として知られているが、フィールド調査を行う研究者にとっては貴重な調査地を提供する場所でもある。とくに、私のような生態学を研究する者にとってはそうである。たとえば、高原の東側にある根子岳や四阿山には垂直分布に応じた様々な生態系があり、高原中央部の集水域にはハンノキやヨシからなる湿原がある。これらに加えて、菅平高原実験センターには、異なる遷移段階の生態系が保存されている。同じ気象条件で異なる遷移段階の生態系が保存されているので、遷移生態学の実験場として、本学の研究者はもちろんのこと他学の研究者からも利用されている。筆者もセンターのフィールドを利用している研究者の一人であり、現在は炭素循環や植物生態に関する研究を行っている。この連載特集では、筆者が行っている炭素循環の研究を紹介することにより、菅平高原実験センターがすばらしいフィールド研究の場であることを少しでも伝えられたらと思う。

炭素循環研究の重要性

 生物は体をつくり、活動をするために炭素、窒素などの元素を必要とするが、これらの元素は生態系内をたえず循環している。これを物質循環といい、その調査・研究は生態系の構造と機能を定量的かつ総合的に解析するための有効な手段である。とくに、炭素循環はエネルギーの流れとリンクしており、これまでに最もよく研究されている循環である。近年、生態系の炭素循環はグローバルな炭素収支に大きな影響を与えており、その研究の重要性は以前にもまして大きくなっている。以下に紹介する二つの炭素循環研究は、いずれもグローバルな炭素収支に関連したものである。

ススキ草原における生態系純生産の研究

 グローバルな炭素収支に対する生態系の寄与は生態系純生産と呼ばれる量で評価される。そのため、炭素循環研究ではこの量の測定が重要な課題となっている。現在、菅平高原実験センター内のススキ草原において、渦相関法と呼ばれる微気象学的手法で生態系純生産の測定を行っている。渦相関法は超音波風速計とCO2変動計をタワー(菅平では約4m)に設置して、鉛直方向の風速と二酸化炭素濃度を同時に測定し、計算によって生態系純生産を明らかにする手法である。この手法によって半自然草原の生態系純生産の測定が行われているのは、我が国では菅平だけである。

 これまでの観測によって、生態系純生産は植物体の生育に伴い大きく季節変化を示すことが明らかとなっている。生育初期(4月下旬)においては,一日当たり2.7〜14.2 gCO2 m-2 day-1の放出(生物の呼吸作用)であるが、5月から吸収に転じて,夏期(7〜8月)には6.2〜11.7 gCO2 m-2 day-1の吸収(光合成>呼吸)が認められている。生育期間(4〜10月)を通しての生態系純生産は−203.4 gC m-2と見積もられ、ススキ草原は炭素の吸収源であることが明らかとなっている。また、興味深いことは、生態系純生産は年によって1.5倍も違うことである。森林でも同様の結果が得られており、開葉の時期が重要であることが分かっている。しかし、草原でなぜ年変動が見られるのかは明らかとなっていないため、菅平における今後の研究が注目されているところである。

図.ススキ草原内に設置した渦相関法測定器

遷移に伴う炭素循環の変化に関する研究

 遷移という現象が生態系(植生)の時間変化であることは誰でも知っている。しかし、意外にも遷移に伴って生態系の炭素循環がどのように変化するのかはよく分かっていない。現在、世界の炭素循環研究者は土地利用変化が生態系の炭素シーケストレーション機能(生態系が炭素を蓄積する機能)に与える影響について注目しているが、この問題を生態学的な問題として捉えるならば、まさに遷移に伴う炭素循環の変化ということになる。こうした背景から、筆者の研究室では、センター内にあるススキ草原とアカマツ林を対象として、草原から森林に変わる過程で炭素循環がどのように変化するのかを研究してきた。その成果の一つとして、草原が森林へ遷移する際に、系内の炭素の流れが変化して土壌炭素量が減少するという知見を得た。昨年、草原に低木が侵入したとき土壌炭素量が減少するということを明らかにした論文がNature誌に掲載されたが、筆者らの知見はそのメカニズムを説明するものではないかと考えている。今後はこのメカニズムを精度の高いデータで証明していくつもりである。そして、こうしたメカニズムの解明に及ぶ研究を可能としているのは、菅平高原実験センターに遷移研究のための貴重なフィールドがあるからに他ならない。

図.菅平高原実験センターに保存されている異なる遷移段階の生態系

Contributed by Shigeru Mariko, Received May 16, 2003.

©2003 筑波大学生物学類