つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 186-187.

特集:動物生態学研究室の人々

いま、想うこと

奥山 亮 (株式会社エンバイオテック・ラボラトリーズ)

 私が、筑波大学(生物学類、環境科学研究科)を離れ、早6年経ちました。今回このようなジャーナルに寄稿する機会を得、今ある自分を振り返ってみる良い機会では?と手前勝手な解釈をして、徒然なるままに今の私の頭の中にあることを書き連ねてみます。私の思考の中で、学生の皆さんに少しでも参考となることがあれば幸いです。

 私は現在、ベンチャー企業の研究員として企画、商品開発などに携わっていますが、日々痛感させられるのは、社会において求められる最も重要な能力の一つが問題解決能力だということです。商品の企画を立てる上では、世の中がどのような問題を抱えていて、今何が必要とされているのかを見抜く、問題発見能力・分析力が問われます。また、実際に商品を開発するに当たっては、最終的な商品に仕上げるまでに生じてくる種々の問題に対して、原因を究明し、いかに最短距離で解決していくかという論理的思考力が必要となります。そこに、正解が用意されていることは殆どなく、解決策は自ら探っていくしかありません。

 恐らく、学生の皆さんはこれまで、正解の用意された問題(受験問題などはその際たるものでしょう)に取り組む機会が多かったことと思います。これに対し、生物学というのは、模範回答のない問題を提示してくれる格好の学問だと思います。自然界にはなぜあんなに多種多様な生物が存在するのか、生き物はなぜあんな不思議な行動を取るのか、DNAはなぜ螺旋状をしているのか、ほとんどの生物ではなぜL型のアミノ酸しか使われていないのか、などなど、絶対的な解答の存在しない魅力的な問題にあふれています。そういった生物の生き方、生命の不思議に正面から挑んでいくことによって得られる経験・能力は、限られた専門分野の技術的なスキルを磨くことでは得られない、貴重なものです。

 私自身、現在の研究分野では、分子生物学や生化学を始め、有機化学や分析化学に至るまで、大学での専門とは異なる幅広い分野の問題に直面する機会があります。しかし、これらの諸問題に対処する際の根幹には、常に生物学という学問で養われた、物事に対する取り組み方・思考法が生きているように思います。

 今振り返ってみると、大学時代に、卒業研究、修論研究のために研究室で過ごした3年間は、私の人生にとって大きなターニング・ポイントになりました。当時私の所属した研究室は、与えられたテーマを淡々とこなせばよしとされるような研究室ではなく、高いレベルの思考力を求められる結構厳しいところだったと思います。図らずも(恥ずかしながら、シビアな研究室だということは、入ってみるまで知らなかった)そんな環境下に自分がおかれて始めて、遅まきながら、生物学と言う学問の面白さを肌で感じることが出来ましたし、また、シビアな環境下で、周囲のレベルに少しでも適応しようとして試行錯誤する新たな自分を発見することも出来ました。もちろん、社会に出てから直面している問題の方が、比較にならないくらい大きなものですが、少なくともそれまで大した苦労も知らずに育ってきた私にとっては、生物学という学問に取り組めたことがその後の人生を左右する大きな経験となりました。就職の際、ベンチャー企業という厳しい環境下に自分を置いたほうが、より自分の可能性を引き出せるのではないかという思いを持つに至ったのもその頃の経験によるところが大きかったように思います。

 「ゆでガエル」の話をご存知でしょうか。何でも、ミシガン大学の教授が行った実験で、カエルをいきなり熱湯に入れると直ぐに逃げ出してしまうのですが、最初は水に入れておいた後で徐々に温度を上げていくと、水温の変化に気づかず最後にはゆであがって死んでしまうという、カエルにとっては何とも悲惨?な話です。このカエルは、水温の変化という周囲の環境中に生じている問題を的確に捉えることができなかったのかもしれませんし、水温の変化には気づいていたものの、まだ大丈夫だろうと思って対処を施さないうちに取り返しのつかないことになってしまったのかもしれません。  私たち人間もまた然り。生ぬるい環境下で安穏とした生活をしていると、いつの間にか自分の置かれている環境に何の疑問も感じなくなってしまうものです。生物の進化の本質は変化への対応です。ゆでガエルにならないために、常に問題意識を持てるよう努めると共に、時には周りの環境を自ら変革し、シビアな環境下に自らをさらしてみてはどうでしょうか。冒頭に述べた問題解決能力も、直面する問題が多いほど、そしてその問題から目を背けず真摯に取り組むほど、自ずと培われていくものだと思います。

最後に

 最初の会社に就職した当初、会社の上司に、○○会社の誰々ではなく、誰々のいる○○会社といわれるような人間になれるよう努力しなさい、と言われた記憶があります。今の時代は大きな組織に守られていれば安心した生活を過ごせるという旧き良き時代ではなくなってきています。完全能力主義を是としがちな今の社会の方向性が正しいのか間違っているのか、私には判断しかねますが、一つだけ言えることは、あらゆる生物は幾多の環境の変化を乗り越えて今ある姿に至っているのだということです。Nothing ventured, nothing gained!私たちも、変化を恐れず、前に進んでいきましょう。

Communicated by Koichi Fujii, Received May 16, 2003.

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