つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 184-185.

特集:動物生態学研究室の人々

エコツアーが地球を救う!?

井村 大輔 (旅行会社エイチ・アイ・エス新宿本店 エコツアー専門デスク)

はじめに

 私は93年に生物学類へ入学し動物生態学を専攻、大学院で2年間環境科学を勉強し、99年に筑波大学を後にしました。現在は旅行会社エイチ・アイ・エス新宿本店にあるエコツアー専門デスクで地球にやさしい旅行の企画、販売を手がけています。筑波大学で過ごした6年間は実り多きもので、直接的ではないにせよ、私を現在の職に導いてくれました。以下にこの仕事に出会うまでの経緯をお話し、例外的であると自覚はしていますが、後輩のみなさんの将来に対し少しでも参考になればと思っております。

エコツアーとは

 私は現在旅行会社に籍を置きながらエコツアーという新しい旅行のカタチを日本に広めるべく日々悪戦苦闘しております。「エコツアー」とは80年代に初めて現れた言葉で、文字通り「エコ」な「旅行」を意味します。一般的な定義としては「@自然の魅力を楽しむことを目的とし、A旧来の団体旅行とは異なり学習や体験を重視し、B訪問地の経済および環境を消耗させることなく持続可能な方法で行われる旅行」とされています。

 この新しいアイディアは従来の観光旅行が引き起こしてきた様々な問題に対する反省が出発点となっています。世界中の、特に発展途上国にある観光地では何らかのきっかけで一旦有名なると、大勢の人間が団体ツアーや大型バスで押し寄せるようになります。するとゴミが増えたり動植物が盗掘されたりし、観光資源は逆に消耗していきます。そして観光地としての魅力が失われた結果、観光客は去り、汚された古里と仕事を失った地元の人々だけが残されてしまうのです。一方、エコツアーという21世紀の旅行形態がうまく機能した場合には様々なメリットが期待できます。例えば参加者は旅行中に自然の魅力と環境保護の大切さを学び、帰宅後も自分の社会に対する環境意識が高まるでしょう。また旅行先の雇用が創出され若者の都市への流出と過疎化が防げます。さらに観光資源としての経済的価値が地元の自然環境に与えられるので、積極的な自然保護が期待できます。自然を搾取するよりも保護する方が賢い選択であることを具体的に分かってもらえるのです。

 私が今年の始めにマレーシアへ視察に行った際には、エコツアーの原点に触れることができました。ボルネオの奥地にはテングザルやオランウータンの生息地があります。周辺には環境への負荷を減らすための様々な工夫をしているロッジが建ち並び、動物観察を主体としたエコツアーのメッカとなっています。スタッフのほとんどは近隣の村出身で、彼らはみな自分の仕事と地元の自然環境にプライドを持っていました。またエコツアーがもっと広まれば彼らの家族も職を得られるということでした。私はそんな地元の熱意と期待を実感して帰国後に当地を訪れる6日間のツアーを発表し、現在も順調に販売しております。

エコツアーとの出会い

 今でこそ趣味と実益を兼ねた仕事に就けている私ですが、始めからエコツアーに関わろうと思っていたわけではありません。私がエコツアーに初めて出会ったのは日本ではなく放浪中のオーストラリアだったのです。

 小さい頃から生き物が好きだった私は、自然と生物を学べる大学を選びました。学生時代は野生動物研究会というサークルに所属し、動物や鳥、虫を見るために北海道から沖縄、さらに外国まで出掛けてしまう仲間達と過ごしました。そんな活動が今の仕事の原点となっているのかも知れません。大学での研究テーマは生物多様性に関するものでした。ただ卒業後の進路は普通と異なり一年間のオーストラリア放浪という今振り返るとかなり無茶な選択でした。世界にはもっと面白いことが隠れているに違いないと思いこんでいたようです。

 英語が話せなかった私はシドニーでレストランの皿洗いからスタートしましたが、人と自然が調和し国立公園が身近にあるオーストラリアでの生活は私にぴったりでした。その後ブリスベンに移り日本語教師のアシスタントをしている折、その休暇中に参加したのが今思えば初めてのエコツアー体験でした。コース自体は2泊3日で郊外の国立公園を巡るというものでしたが、その内容は驚きに満ちていました。ガイドは観察した鳥や動物の生態についての詳しい説明はもちろん、オーストラリア大陸の成り立ちや歴史を紙芝居や時にはおもちゃを使って参加者に分かるように語ってくれました。オーストラリアでは彼らのことをインタープリター、通訳者と呼びます。なぜなら私が独りで森の中に入っても気づかないことをインタープリターが自然と私との間に立って解説してくれるからです。こんな素敵な職業がオーストラリアにはあるのかと目から鱗の思いでした。その後熱帯の小さな街、ケアンズに移動した私は海や山での様々なエコツアーに参加し、その魅力に取りつかれて行きました。

エコガイドとして

 次の仕事はエコガイドと決めた私は数社に連絡を取り、あるエコツアー会社が面接をしてくれました。面接では大学で生物と環境科学を学んだ点を強調し、無事採用されました。仕事の内容は日本からの観光客を一日かけて世界遺産の熱帯雨林に案内し、森の特徴や動物について解説するというものでした。その後、エコツアー先進国のオーストラリアでエコガイドについてきちんと勉強したいと思うようになり、州立の専門学校へ入学、エコガイド養成コースに一年間在籍して理論とガイド技術を学ぶことができました。その間も週末はガイド業を続けていました。卒業後はそのままオーストラリアに住み続けたかったのですが、労働ビザを取得できずに無念の帰国となりました。結局2年弱オーストラリアで暮らしたことになります。帰国後は旅行会社を中心に就職活動をし、一社目の面接で大手旅行会社としては初となるエコツアー専門部署の新設計画を聞かされ、迷わず入社し、現在に至ります。振り返ってみると私は自分が面白そうだと思った方向に忠実に従った結果、今のような趣味と実益を兼ねた仕事に辿り着いたのですが、かなりの部分で運に助けられたのも事実です。自分の境遇に感謝しています。

2003年ボルネオにて野生ゾウと

エコツアーの将来

 最後になりましたが、エコツアーの「エコ」はギリシャ語で家とその周辺を意味する「OIKOS」という単語を由来としています。その意味において生物はミジンコからクジラまで皆地球というひとつの大きな「家」に住むメンバーと考えられます。そんなかけがえのないみんなの「家」を自らの都合で汚したり破壊してきたのが20世紀までの人類だったのではないでしょうか。自分の家を汚して困るのは結局自分自身なのです。エコツアーはそんな単純だけれど大事なことを気づかせてくれる有効なツールです。多様性に富んだメンバーが住む大きな「家」の中を探検し、その美しさに気づき、その将来を守っていく必要性を一般社会に広めていく一つの手段だと私は信じています。そして数十年後にはエコツアーの考えは社会的常識となり、「エコツアー」という言葉が特別に取り上げられることもなくなるくらいになって欲しいと願っています。

Communicated by Koichi Fujii, Received May 6, 2003.

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