つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 192-193.

特集:動物生態学研究室の人々

人間生物学の研究と教育のパラダイム

秋坂 真史 (茨城大学 教育保健医学)

 開学直後の筑波大学生物学類に入学して、もう四半世紀が経つことになる。本当に「感無量」である。

 本論を始めるにあたり、まずはここまで生物学類の維持・発展に御尽力された諸先生方々に敬意を表したい。

 さて、青年期に夢だった医学部受験をやめて生物学類を選んだ理由は、学力というよりも、単純に学問対象そのものへの疑問と発想の転換が縁だった。つまり、受験勉強をしていくうち、医学はヒトのみを対象とするのに対し、生物学は地球上の生命全体の普遍性を対象とする、という当然の事実に気がついた。当時の私にとって、この「地球生命の普遍性」をまず深く学び、あるいは追究することの方が、単なる医者になること以上に重要なことに思えた。一般的な「人間のみが最高の生物である」という考えは、尊大にも思え、きわめて俗っぽいパラダイムにみえた。いま考えると、この発想こそ自分の「個性」の芽生えであり「研究心」の始まりであったかも知れない。時まさにアポロ計画に続く火星探索が始まり、ワトソンとクリックの「二重らせん」という書に感動し、真理の追究に憧れを抱いていた頃であり、時代背景にも多分に影響されたと思う。また、日々使っていた生物学参考書の名著は、当時の生物学類をリードしていた鈴木宏先生や千原光雄先生など現職教官が書かれたものであり、学生教育にも大きな関心と実力をもつ教授たちの存在を確認できたのである。彼らの学生を見つめる温かい眼差しが今でもはっきりと私の脳裡に残っている。また恩師でもある藤井宏一先生は当時新進気鋭の温厚な研究者で、その後もお世話になり感謝している。とくに、大部で難解なウイルソンのSociobiologyの原書講読に付き合ってくれた恩は決して忘れていない。もしかしたら、当時の筑波大学にはまだ多く存在したこのような「教育的人格」からの影響の数々の方が、その後の私の運命にとっては絶大な意味があったかも知れないし、現にそれが私が今、茨城大学で目指しつつある「理想の教育・研究」であることに他ならないのである。なぜなら、学問に生きる上での私の信念のひとつは、「研究だけでいくら個人的名声を博しても、あの伯楽のように教育者としても優れていなくては、人間あるいは真の大学人としては到底尊敬できない」というものがあるからである。これだけは今も昔も変わっていない。もしかしたら、こんなところにも「東京教育大学」という伝統の影があるのかも知れない。いずれにせよ、独立行政法人化が進む中、学生教育は今後の大学運営にとってもきわめて重要な意味をもつことは間違いなく、教育の重要性を忘れて「研究至上主義」を貫いては、ごくわずかの大学を除いてしか生き残れないと思う。研究も大切だが、いつの時代になっても、やはり「教育は国家の大計」である。

 たぶん、多くの科学研究者における究極の夢、あるいはその所属大学の社会に対する最大のアピールは「ノーベル賞受賞」だろうが、そういうものは仮に首尾よくとれたとしても、冷静に観ると意外に本人が考えるほどに多くの一般人の共感を得て歴史や個々人の心に残るものでもない。むしろ、このたびの田中耕一氏のような意外な「人間味あふれる個性」と民間人としての「研究と教育」に見せる謙虚な姿勢こそが、一般人の心に強く印象的であり、日本人の心として後世に長く語り伝えられていくものなのだろう。しかもそれは、学界にありがちな閉塞感の漂うパラダイムの一角を見事に崩し、日本の一般人の心のみならず科学史に残る快挙と私は思う。

 新しい生物学における研究と教育のパラダイムが、当時の若かった自分の心を占めていたが、少なくともまず生物学を学んでから医学に入っても遅くはないだろうと気楽に考えて、新鮮で魅力的に見えた筑波大学生物学類に入学したというのが正直なところだった。最初は一学科が80名という数は多いと感じたが、大学というものは結局は自分で勉強するところだと割り切っていたし、自分の個性がわかりつつあったから何名いようと特にライバル意識もなかった。逆に、良き友にも恵まれた。つまり「教育的」に言えば、80名という数は80もの「新鮮な個性」があるということでもあって、多彩な生き方が期待でき、まことに頼もしい限りである。

 さて、「生物の普遍性」を学んでいくうちに、入学当初は流行のDNA一辺倒だった自分が「人間、この未知なるもの」のように、徐々に人間という複雑な生物の不思議に興味をもち始めた。先の社会生物学や、ローレンツやフリッシュらの築いた行動生物学のような新しい学問が面白くなった。不思議なことだが、このような学問から学んだ「動物行動の見方」が、現在の自分の専門である心身医学・心療内科そして精神医学の臨床につながり、患者の行動や心理を、普通の医者以上により深く、異なった視点から診る眼を養う手助けになっているような気がする。というのも人間行動のすべてが興味深く、またどんなに悩み深い相談でも、その人をいとおしく感じ、科学的にも理解しやすいからである。当時の生物学類ではけっして優等生ではなかった者がこのような文章を綴るのもおこがましいが、当時私は学内外の懸賞論文(第1回筑波賞)やエッセイあるいは投稿小説を書いたり、他学類の講義とくに哲学や物理学あるいは心理学などの学問にハマってしまっていて、結果的に専門に関係ないようにみえる「山の裾野を広げる」ことに尽力していたので、けっして褒められたものではない。しかし、そういう「バカなことは」若い時にしかできないし、現在の学生さんも「双峰」程度に夢中になるのもいいが今の筑波大学のレベルならば、やはり世界の「富士」を目指すべきではないかと思う。

 ただ、現在いっけん無駄にみえることが、新しいパラダイムを産む原動力になることは、科学史における多くの事実が証明している。若い学生諸君はもっと「科学史」を読むべきである。歴史は多くのことを教えてくれる。もしかしたら、今自分がしていることが、時空を超えて、どういう意味をもつものなのかも。

 あの遺伝学で有名なメンデルだって、当時の学界(つまり一部の権威者)には「完全に無視」され、50年後になってやっと一部の慧眼の学者に見出されて、今では子供でも知っている新しいパラダイムの祖になったのである。生物学類の学生諸君には、そういうパラダイムを、権威にひるむことなく、誰に臆することなく、創れる人間に生長していってほしいものである。  その後、私は多少悩んだあげく事情があって医学への道に再転向したが、今でも我が「学問的」あるいは「教育学的ふるさと」は筑波大学生物学類にあると信じている。そして長い期間の沖縄での「長寿や老化」の研究を経て、今は人間の「こころ」すなわち精神現象の不思議、つまり「人間生物学の応用」としての医学の研究と教育、そして臨床に夢中になっている次第である。

 だから人生、「廻り道」も悪くないと思っている。なぜなら、現在は「生涯教育」の時代だし、沖縄や茨城で100歳以上の長寿者を調べていくうちに、未だ彼らの歳の半分にも達していない自分が「少年か青年」に見えてくるのである。第一あの「廻り道」がなかったら今の自分はなかったであろう。若い時には、何であっても精魂込めて学ぶことは、すべてその人の血肉になり、人間を広く大きくし、発想も豊かにし、その人のアイデンテイテイを確立し、その人にしか創れない新しいパラダイムを産み出すこともつながるかも知れない、と考えている。

 あの頃、「追越宿舎」で学んだ私の生物学は、今はその応用の実学として形を変えて、日々の教育や研究あるいは臨床診療に打ち込む今の自分を形成してくれ、幾ばくかの心を病む人々に感謝されて生きている。また当時、すばらしい生物学参考書に感動していた自分が今度は大学生やコメデイカルあるいは一般向けに基礎的な医学・生物学関連書を著すという畏れ多い立場になっている。しかも同じ県内の大学で、教鞭をとり大学運営に加わり「応用的生物学」の研究・教育、そして社会的貢献に励んでいる自分の運命が、何とも不思議でならない。

 今後は、たぶん筑波大学生物学類の皆さんとも研究や教育上の協力を含め、私的にも人間的な付き合いを行いやすいことだろう。ただ、我孫子に住んでいるのに、通勤以外にも近い筑波は素通りし水戸まで直行している自分が、最近少し不思議でもある。やはり今や筑波大学は、私にとって、近くても遠い存在なのかも知れない。

 ただ一つ確かなことは、当時、周囲は荒野でも東京教育大学から脱皮した「筑波大学の創成期に、共に同じ空気を吸ってそこで生きていた」という自負にも似たものは、おそらく当時の卒業生や教官の方々は皆もっていて、心の財産になっているはずである。忘れてならないことは、すでに出来上がったものに満足して過ごすのはたやすいが、飢えた渇望の中に新しく造られつつあるものの中に覚える感動が大切であり、その最もよい例として、研究学園都市を造る「ツチ音」だけがガンガンと鳴り響いていた時代の人間にしかわからない「何か」が(おそらく若い時期にこの地で肌で感じた何かが)「創造」への情熱として現在の自分へとつながり、あのような稀に見る「日本のヘキ地」に全国から集った1学年80名もの同志たちの「純朴な気持」と「輝く個性」が、いま各々の地、個々の人生の中で今日の筑波大学生物学類の歴史を静かに支えている、という事実であろう。その後、筑波は市になり、万博も実施され、外見もすっかり巨大都市に変貌し、行き交う人々の顔ぶれは昔と全く変わってしまったが、いくら時代は違っても人間自体はそう変わるものではない。

 歳を重ねると当時の先生方の苦労がよくわかり、今や感謝という言葉以外みつからないのが真実である。

 今の後輩諸君には、今の筑波大学生物学類が皆さん(自分)を必要としているものがあるはずである。どうか先人たちの意志を汲み、もっと新しい筑波大学、もっと新しい生物学類を創っていかれることを願ってやまない。

参考文献
  1. 秋坂真史:気がつけば百歳,大修館書店,1995
  2. 秋坂真史:男性百歳の研究,九州大学出版会,2000
  3. 秋坂真史ほか:健康長寿の条件,ワールドプランニング,2001
  4. 秋坂真史:教養としての精神医学・心身医学,大学教育出版,2002
  5. 秋坂真史:コメデイカルのための内科・心療内科学,サン印刷出版 ,2003
  6. Masafumi Akisaka.: Interdisciplinary Studies of the Oldest Olds in Okinawan-Japanese. Sun press., 2000
Communicated by Koichi Fujii, Received April 29, 2003.

©2003 筑波大学生物学類