つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 7: 314-315.

筑波大学生物学類、基礎生物学実験の紹介

大網 一則 (筑波大学 生物科学系)

 平成14年度から、基礎生物学実験の責任者を仰せつかっています。これから、筑波大学の生物学類を受験しようと思っている人、それから、生物学類に興味を持っている人たちのために、基礎生物学実験について、簡単に紹介したいと思います。筑波大学生物学類に疑似入学体験をしたつもりでお読みいただければ幸いです。

 筑波大学生物学類に入学したみなさんは、初めの一年間、基礎生物学実験を受講することになります。この課目は必修です。いろいろな分野の教官が分担して、様々な分野の実験を生物学のプロを目指すみなさんに体験してもらいます。受験に明け暮れた生活から、アカデミックな生活に移行する第一歩です。Study Nature, not Books の言葉通り、実際の生き物や自然を目の当たりにすることが目的です。毎週金曜日の午後一杯、生き物達を相手にして、目を輝かせる仕組みになっています。

 基本的なガイダンスと劇物毒物の扱い方の講議に続き、顕微鏡、コンピューターの使い方をはじめに学びます。これらの基本事項を押さえたら準備OK。早速、生き物の世界に飛び込みましょう。

 基礎生物学実験は、様々な生物を見る所から始まります。身近な池や草原の動植物、微生物等を観察することにより、私達の住む世界がたくさんの命で満ちあふれていることを改めて実感して下さい。池の中の世界を例にとってみましょう。普段、池の中の生物と言うと、鯉や鮒を想像しますが、注意深く観察するともっと微少な生物の世界が広がっています。池の水を顕微鏡で覗くと、そこには何とも言えないかわいらしさを感じるミジンコや美しいケイソウ、時にはゾウリムシが見つかるかもしれません。あるものは、元気に泳ぎ回り、またあるものはじっと水中の枯れ葉の裏にくっついています。これらをじっくりと観察し、スケッチすることで、あなたの生物世界は確実に広がります。

 さて、小さな生き物達を良く見たら、今度はそれらの生物同士のかかわり合いに付いて考えてみましょう。食物連鎖に象徴される、食う−食われるの関係はもちろんの事、たくさんの生き物がお互いに影響を与えあって、池と言う、限られた生活圏の中に住んでいます。その中では、場所の取り合いや、競争、協力関係などなど様々な相互関係が見られるでしょう。どの生き物も、たくさんの生物と環境の織り成す生態系の一員なのです。

 それからエネルギーに付いても考える必要があります。生き物が生きてゆくためには、エネルギーを取り込む必要があります。この限られた生活圏、池の生き物達のエネルギー源はなんでしょうか。太陽の光です。植物が太陽の光を取り込み、光合成を言う反応により、有機化合物をつくり出しています。池の中でも、水性植物や植物性プランクトンがエネルギーをつくり出すのに重要な役割を担っています。我々の生活を豊かにしてくれている石油や石炭等の化石燃料も元はと言えば、植物が取り込んだ太陽のエネルギーが姿を変えたものです。

 さて、限られた環境と言うことで、池の世界を例にとって色々考えてみましたが、みなさんが住んでいる地球も限られた環境であることを思い出してください。地球と言う池を汚してしまっては生きて行けません(環境汚染)。池にある食物を短期間に食べ尽くしては、この先に飢えが待っているでしょう(エネルギー問題)。自分の種族だけが爆発的に数を増やしてゆけば、他の生き物が生きてゆく場所が無くなり、多様な生物世界を単調なものにして、安定性をなくすでしょう(人口問題)。更に生物から環境への働きかけを意識すれば、地球レベルの温暖化や砂漠化に付いても問題意識を持つことができるかも知れません。

 逆の発想をしてみましょう。生活圏が限られるのが困ると言うのならば、これを広げれば良いと言うことになりますね。宇宙に飛び出してゆくロケットは、未知の宇宙を知ろうと言う好奇心の他にも、地球上の生物の生活圏を広げようと言う、実際的な側面も持ち合わせているのではないでしょうか。宇宙ステーションの中でも、生物の実験がいろいろ行われています。

 微小な世界から、地球と言う生態系、壮大な地球環境まで、様々なレベルで生物の存在を実感いただけたでしょうか。身近な世界をよく観察することによって、こうした地球の環境や行く末を考え、想像してみるのはすばらしい経験となること請け合いです。豊かな想像力を持ったあなたは、すばらしい生物学者になる素質充分です。

 さて、実験は次のレベルに入ります。生物の多様性を見極めたら、今度は個々の生き物を注意深く観察します。生物の個体は、細胞一つでできているものから、ほとんど無数と言って良い程たくさんの細胞からできている高等多細胞動物、巨大な植物等、様々です。多細胞生物の場合でも、それぞれの細胞が役割を分担し、協調して、個体として調和のとれた活動をバックアップしています。ここでの課題は、動物や植物の個体を観察し、どういった構造になっているか良く調べてみることです。

 個体としての生物をよく見た後は、生物を構成する組織や細胞に目を向けてゆきましょう。ここでは、細胞が分裂する様子を調べたり、赤血球ゴーストを用いた、細胞膜の性質を調べる実験を試みます。細胞は生命活動の基本単位です。実際に細胞はどういう構造になっているのでしょうか。様々な構造が見られますが、真核生物では核やミトコンドリア等の細胞内小器官、細胞を外界と仕切っている膜等の共通構造が見られます。このように細かい構造を視覚化するには、組織切片を特別に作る必要があります。電子顕微鏡で観察するにも、特別の樹脂包埋切片が必要と成ります。みなさんはこれらの切片を実際に作り、組織や細胞の微細構造を観察します。

図1. 植物組織の染色作業

 さて、実験はもっとも微細なレベルに入ってゆきます。細胞の中では、顕微鏡でも容易に観察できない小さな分子が重要な働きをしています。この実験の終盤では、これらの生物体を構成する分子を対象とします。生体分子の代表格、DNAやタンパク質を取り出し、それらの物理化学的な性質により、選り分けたり、性質を調べたりします。生命科学の研究の最先端でも、分子生物学の分野では、遺伝子の実体であるDNA分子を人為的に操作することより、生命現象を様々に解析する試みが盛んになされています。また、近頃急速に進んでいる、遺伝子工学では、優良な形質を持った家畜や作物の作出が行われています。詳しい原理は、専門の実験に譲るとして、ここでは、一次元的な分子の配列が持つ情報により、すばらしく複雑で有能で秩序だった生命現象がつくり出されていることを実感して下さい。もう数年前になりますが、ジュラシックパークと言う映画がありました。映画の冒頭では、恐竜が繁栄していた太古の昔、恐竜の血を吸った蚊の化石が出てきます。ストーリーは蚊の体内に残された恐竜のDNAから、恐竜を再生させると言うものです。映画のように恐竜が再生するかどうかはともかくとして、恐竜を作り上げる(?)のに必要なすべての情報が単純な4種類の塩基の並ぶ順番にコードされていると言うことは事実であり、驚くべきことです。

図2. 植物組織の顕微鏡観察

 生命体を構成する有機化合物は巨大分子が多く、一般的な化学的手法では取り扱いづらいものがあります。先頃、新聞をにぎわした田中耕一さんはこうした巨大分子の一つであるタンパク質の構造解析を行う技術を開発し、これからの学問、生物学に大きく貢献したことにより、ノーベル賞を授与されたものです。基礎生物学実験の生体物質の項目では、生命を構成する分子の取扱いの基礎を身につけます。

 一年を通した実験により、みなさんの生物に対する見方は確実に幅広く、好奇心に満ちたものになったことと思います。ここまでの説明では、生物を良く見ると言う目的を第一に考え、生物世界を生物個体群から生体分子に至る階層に従って眺めてきました。これは主に、生物の構造を基準にしてみてきたことになります。別の見方に、機能を基準に生物を見る方法があります。基礎生物学実験の対象には酵素反応を調べたり、植物ホルモンの作用を調べたり、外界の環境変化に対する生物の反応を調べたりと言った、生物の機能を調べる項目もしっかりと取り入れてあります。最後に、構造と機能、これらの2つは生物にとって、布を構成する縦糸と横糸のように相互に重要なものであることを念頭に置いて下さい。

 さて、みなさん、基礎生物学実験のバーチャル体験はいかがでしたか。生物を取り巻く地球環境から生物を構成する分子まで、幅広い視点から生物に接することができたことでしょう。基礎生物学実験を通して、生物に対する幅広い視点、興味を感じていただけたら、この実験の目的は達成です。広いバックグラウンドから、今度は、みなさんの興味をより深く掘り起こす、専門の実験にバトンタッチです。

Contributed by Kazunori Oami, Received September 9, 2003.

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