つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200403HU.

特集:卒業・退官

卒業−雑感 大学の四季

漆原 秀子 (筑波大学 生物科学系)

 大学には季節の移り変わりがある。土潤う雨とようやく優しさの増す陽射しの今頃は、成長した人たちとフレッシュマンが交代するとき。入学手続きに訪れた次期新入生を呼び込むサークル勧誘の声。桜吹雪の中に交錯する期待と不安の表情。いつの年も同じ光景を眺め、同じように心和む、あるいはうらやむ季節。4年前に出会った2000年生物学類2クラスの若者たちが卒業していく。奇しくも私自身の長男と同学年であり、−そう、おまけに息子と同じ高校を卒業した人たちがその中に3人もいることを知ったときのオドロキ−近寄りたいような、近寄りすぎてはいけないような、他人と思うわけにいかない22人の若者だった。

 ヒトとしての成熟を遂げ、社会を動かすための準備期とも言える大学での4年間は、豊かな土壌が水と光で急速に生命を育むような燃焼の時期。春たけなわの畑地からあがる陽炎のように抑えることのできないエネルギーの発露を、彼らはもてあましただろうか。昇華しただろうか。傷ついたり悔やんだりしただろうか。4年前と同じようににこにこと微笑みながら巣立っていく君たちも、本当は泣いたり、ののしったり、自己嫌悪にさいなまれたりしたのではないのかな。そう、決して同じではない輪郭を見逃さないようにしなくては。髪の毛の色が、何気ない言葉の端が、ふとした表情が、新しく豊かに伸びた枝のあることを気づかせる。卒業オメデトウ。

 長雨の中を傘が走って行く。1年生の教室移動は骨が折れる由。梅雨が明けるのを待っていられずに1学期は終了し、高温多湿で不快極まりない講義室での授業から開放される。全くやりきれないよと勉強から遠ざかる何人かがいても無理ないような倦怠の時期。法人化されるともっと良い環境にしなくてはいけないのでは。雷。そして夏。成績報告のごとき実務に追われるあまり、教えることの原点を忘れがちになる教師。あの用事、この用事、大学のせんせいってこんなだったか?ハンコやバイトのためにオフィスに来てくれた人にぼやいたね。夏は焦燥の時期。−ぼやきは年中でしたよ、と切り返されそうな...。そう、木々の葉が青々と繁り、杜のみやこ仙台のごとくループにアーチがかかるように、彼らは十分生意気になる。生意気な若者とやりあうのは楽しい。口なら負けないから、社会人になったらまた出直しておいで。

 緑の多さを賞賛しても、紅葉が素晴らしいことを推薦入試の受験生は誰一人として面接で口にしないけど、高い階から見渡すキャンパスの秋は絶景。やがてはらはらと舞う落葉はそこはかとなく寂しさを誘う。万事順調であれ八方ふさがりであれ、現実とはほとんど無関係に、人生って何だと考えたくなる季節の移ろいが視界を横切っていく。澄んだ気分で将来を考えるのはきっとこんなときだろう。秋は哲学のとき。ああ、そう言えば京大理学部から銀閣寺のほうに歩いていくと「哲学の道」だった。柳が疎水に垂れて揺れ、いかにも思索を誘うけど、記憶の中ではどちらかと言えばむなしさだけを感じていたような気がする。若者は自分をいたぶって潔癖感を満足させたがるのだろうか。ふと彼らとの哲学論議は少なかったと気になる。言葉の遊びになるのが嫌いで避けていたとしたら申し訳ない。哲学は自分とは何か、生物とは何か、宇宙とは何かを問う究極の自然科学だ。生物学を志してきた君たちといつか語り合う機会があるのかも。吹き寄せ去られた落ち葉を風がさらに舞い上げる晩秋、カップルが生成したり消滅したり、進路の相談をしあったり、社会に出て行く支度が始まる舞台設定。

 雪。瀬戸内の故郷では年に2,3回ふらふらと小さい雪が舞い降りただけなのに、つくばでは雪が積もる。雪の道を走るのはこわいので、降り出したら早退したいといつも思っていた。2クラスの中に雪道事故の話がなかったのは幸いだが、学生の一人暮らしはさぞや健康管理が無謀なのだろう、ひどい風邪にかかる人が何人か出る。クラスセミナー2週続けて病欠とか。そんなとき、気にかけてくれる友達がいるかどうかが一番の心配だった。ガールフレンドかボーイフレンドがいると知っているときはちょっと安心。同性もちろん結構だけど、年相応に異性で心配してくれる人を作っておきなさい、と本気で言っていた。実行できた人は何人かな。3年生まではこの冬のあとはまた春がやってきて、新学期が始まる。だが4年生の冬は筑波大学学群生の終わりを告げるとき。季節が巡ってまた新しいサイクルが始まることに安住していた人々に、さあ新しい世界に踏み出すのだと卒業手続きが始まる。筑波大学大学院に進学してもそれはそれで新世界。別の場所であればなおさら。学類長が卒業証書を手渡し、そう、君たちは再び期待と不安の交錯した面持ちで桜の下に追いやられる。同じことが繰り返されるけれど、そのたびに一段階ずつ高みにあがるように。私だって誰だって一段階あがるけれど、若い人の一段の方がずっと高い。ほら、筍の根元のように。若さにバンザイ。

 私は担任制度が本当に必要とは考えていない。大学に入ってまでクラス単位で世話をする必要はないと思う。しかしそれはそれとして、2クラスの諸君との付き合いは楽しかった。息子と同学年と言ったけれど、直接責任がなく、成長を見守っていればよいという点では、彼らは別格で、むしろ孫のような存在だったかもしれない。クラスセミナーのテーマも時代に即してITをとそれなりにいろいろ考えたつもりだったが、要は楽しんでいただけで、何も教育できなかったかもしれない。思い出すのはフレッシュマンセミナーのお好み焼き、5分と持たなかったバスケット、松見池横のすいか割り。−「教材・漆原」とラベルを貼って学類低温室で冷やしておいたかいあって、まことにおいしかった…。しかし良いではないか、単なるクラス担任だ。いや、まじめに霊長研もNASDAも見学した。

 イシカワカオリ、イシダケイジ、ウエダナツコ、ウメヅマサヒロ、カツノナオコ、カヤノケイスケ、クサカリマリコ、コジマアキコ、コバヤシタイヘイ、シモヤマタカヒサ、ジンツウヨシコ、セキヤタケシ、ナカジマダイスケ、ニシジマサトシ、ニワフミカ、ヒナツカヨウ、フクシマリョウタ、マエダルイ、マユミダイスケ、ムラカミサオリ、モチヅキヒロアキ、ユアサアキコ。それぞれの人にまつわるささいな心温まる思い出がある。マンチェスター大学の留学を終えて卒業する彼、留学中の彼女。生活様態のバリエーションは今後さらに広がるだろう。専門の生物学で傑出する人材もいるはずだ。筑波大学でしばしともに過ごした人間として、君たちの幸せと活躍を心から祈っている。

Contributed by Hideko Urushihara, Received April 1, 2004.

©2004 筑波大学生物学類