つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200403NO.

特集:卒業・退官

筑波大学生物学類語録

大塚 則幸 (筑波大学 生物学類 4年)

 平砂の美しく儚い桜並木が清々しい若葉に染まり、アメリカシロヒトリの巣窟に代わる頃、田舎から出てきたばかりの小賢しい青二才もまた、儚い虚勢の殻を脱ぎ、生きるための友を茂らせ始めていた、という書き出しで私小説風に生物学類での四年間を書こうかとも思ったが、無理だ。そして、野暮だ。体験を書き連ねるのは難しいものだし、そもそも体験を言葉にしても伝えられるものは限られてしまう。それでは何をどう書くか、ということで筑波大学生物学類語録という表題に至った。言葉による体験を言葉によって表そうということである。これなら私にも可能であろう。生物学類の先生・友人が発した言葉を通じて、筑波大学生物学類での四年間はいかがなものであったかを少しでも垣間見ていただければと思う。

「大学の授業は斜に構えて聞いて、ホンマかいな、と疑うくらいがちょうどええんや」
 ある先生が授業中に言った言葉。この言葉以降、私は板書よりも疑問、アイデアをノートに殴り書くことを善しとするようにした。

「足れり」
 古代中国を愛する友人が故事から引用したもの。とある縦横家(外交家あるいは演説家)が逆恨みによって私刑され、半死半生になったとき、彼は奥さんに「舌はあるか」と尋ねた。奥さんが「体中大けがだけど、舌はちゃんとあるわ」と答えると、彼はただ一言「足れり(十分だ)」と言った。
 どうやら友人は、私にこのような一点にするどく尖った人間になってほしいと願ってこの故事を紹介したようだ。

「世の中、金だ」
 ある先生が授業中、現代の科学研究にはアイデア、技術を活かすための資本が必要だという話をしているときに出てきた言葉。これから科学研究の世界に飛び込む私たちにとって、重要な見解ではなかろうか。その先生はさらに「だからといって、研究費がとりにくい研究だから(そういう研究を)やらないっつうのは、とんでもねえ話だ!重要だと思うんなら、やらなきゃダメだ。うまくアピールしなきゃだめだ。な、そうだろ」とも話された。これからの時代は自分の考えをアピールする力が今まで以上に重要になる、ということだろう。それは研究者に限ったことではないように、私は思う。

「(サッカー)好きか?」
 私と同期の生物学類生で構成されるサッカーチームの合い言葉。某サッカー漫画の中に出てきたものをそのまま引用した。「サッカーが上手いか下手かは、サッカーを楽しむのに関係ない。サッカーが好きかどうか。好きならやろう」ということ。どんな分野でも同じかもしれない。向いているかどうかよりも、好きかどうか、やりたいかどうかの方が大切な判断基準なのかもしれない。

「Over The Imagination」
 私と同期の生物学類有志で2003年度学園祭に紅茶屋を出店したときのコンセプト。基は「想像を超えた創造」というもの。お客様が望む商品、サービスを実現するだけでなく、その希望を超えた商品、サービスを提供することで満足していただきたいという願いから作られた。「相手の要求を実現し、さらにその上を行く」という意識をこれからも持ち続けていきたいと思う。

「ギャップがたまらない」
 ある先輩が発した言葉。この言葉は私が直接聞いたものではなく、私の友人が聞いたものである。その場にいたわけではないので、なんとも言い難いが、どうやら「意外性に人は強く惹かれる」ということらしい。さらに深い意味があるかどうか、その先輩に聞いてみたいものだ。

「一時間で俺にAを取らせろ」
 ある授業の期末試験を一時間後に控えた友人の言葉。彼は授業にはきちんと出席していたが、どうやらノートをとらずに聞くことに集中するスタンスを貫いたらしく、流れはわかっても内容の詳細を振り返ることができないという状況であった。私は彼の部屋で同じ授業について徹夜で勉強していたのだが、彼は先のような状況であるにも関わらず、上の言葉を口にするまでぐっすり眠っていた。彼曰く、「お前が本当に理解していれば、俺に理解させることもできるはずだ」一見、自分勝手で無茶苦茶な言い様ではあるが、一理ある。学生として誉められることではないのだが、彼のような友人を持つことは大学で学ぶ上で重要なのではないかとも思う。

「勉めて強いる勉強ではなく、学んで問う学問をしてください」
 ある先生が大学でやることは何かいう話をしているときの言葉。勉強、学問の語源が正しいかどうかはわからないが、それはこの際問題にはならないだろう。「答えがすでにある問いに答えるよりも、学んで答えを知り、その答えから答えがまだない別の問いを発するのが大学でやることだ」ということだろうか。生物学類での四年間、はたして私は学んで問うことができるようになったのであろうか。

「口先はとっても重要なんだよ」
「君のような政治家みたいな人間も、科学研究の行く末を議論するために必要なんだよ」
 上はある先生が口のうまい友人に言った言葉。下は別の先生が人前で話したがる私に言った言葉。先に書いたアピールする力の重要性に注目した言葉であろう。経験ある先生方の多くが同様のことを言われるということは、やはり話す力、アピールする力というのは私たちが延ばさなくてはいけない重要な能力なのであると確信できる。

「笑い声で」
 授業を受けていたはずの友人が「さっき二食(第二学群食堂)の前にいたよな」と私に言ったので、「なんで?」と聞いた答えがこの言葉。離れた教室にも私の笑い声は届いたらしく、授業を受けていた友人らはひそひそと「あいつだ」と囁き合ったという。その授業を担当された先生には本当に申し訳なく思う。しかし、このように笑い声でも何でも自分の存在を認識してもらえるのはとてもうれしい。ただ、おそらく見知らぬ人にとっては耳障りであろうかとも思われるので、これからは大きくても清々しい笑い声を心掛けたいと思う。

「とりあえず二食で」
 とりあえず第二学群食堂に行こう、ということ。待ち合わせを決めるときや何か集まって話をするときに友人間で交わされる。時に、ゆっくり話そうか、という意味も含む。私は四年間でもっとも多くの時間を二食で過ごしたのではないか。もしかすると何年か後、筑波大学で友人と再会するときにも「とりあえず二食で」といった具合に使われるかもしれない。そういえば、ここに載せられない多くの名言・迷言も二食で生まれた。

 生物学類語録はいかがだっただろうか。私が生物学類で体験した言葉のうち、さまざまな理由により一部しか紹介できなかったが、私が過ごした生物学類での四年間の意味を少しだけでも共有していただけたらうれしい。

 最後に、筑波大学キャンパス、先生方、その他職員のみなさん、家族そして友人たちへ、 「ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」

Communicated by Fumiaki Maruo, Received March 27, 2004.

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