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学生による教員紹介

生物学類の先生はどのような研究をしているのでしょう?
学生たちがインタビューに行きました!

無制限の好奇心を持つ系統学者

三中 信宏
 
そのアルバムは、強烈なヘヴィメタルから始まる。熱い咆哮とともに、重低音が鳴り響く。しかし、その激しさはなんでもなかったかのように、2曲目では荘厳なクラシックが流れる。お次は、ジャズだ。ここに至って私は気付く。その者が奏でる音楽に、もはやジャンルの壁は存在しないのだと。そして、これはある一貫した視点で各曲が結ばれたコンセプトアルバムなのだと。
 今から紹介する研究者は、まさにそんな演奏家に例えられる。その研究者の名は、三中信宏。進化学や系統学の世界に大きな影響をあたえてきた人物だ。その男が取り組む研究は、農研機構農業環境変動研究センターのユニット長という肩書からは想像もつかないほど多岐に渡る。文理の壁も、分野の壁も、彼の前には存在しない。しかし、その壮大さゆえ、全貌が掴みにくい人物であるとも言われる。そんな謎に包まれた素顔に迫るべく、インタビューに挑んだ。そこからみえてきたのは、予想とは大きく異なる人物像であった。

家系図は進化の歴史

 今生きている生き物は、我々も昆虫も草木も皆、親から生まれた。そして、その親にもまた親がいた。こうして遡っていくと、現存する全ての生物の共通祖先にたどり着くとされる。つまり、全ての生き物は「由来関係 (祖先子孫関係)」によって結ばれており、これを図示すると大きな家系図ができあがる。チャールズ・ダーウィンにとって、この「変化を伴う由来」こそ進化にほかならなかった。そして、生物が辿ってきた進化の記録であるこの家系図があって初めて進化的解釈や説明が可能になると、三中先生は1997年に記した名著『生物系統学』で主張している。しかし、我々生物が辿ってきた歴史は過去の話であるため、現在のデータから推定するしかない。では、どうやって推定するのか。それを研究するのが生物系統学 注1 である。そして、推定された生物を結ぶ由来関係を図で表現したのがツリー (系統樹や分岐図) やネットワークであり、それらを言葉で表現したのが分類群 (射影分類) だ。
 この生物系統学こそが、三中先生が活動しているメインフィールドの一つだ。三中先生は、今、生物系統学の世界においてどんなことに関心があるのか。視線の先にあるものを問うた。返ってきたのは意外な答えだった。「やっぱり生物学だけじゃなくてですね、文化系統学や、文化進化学とか、あるいはそれ以外の分野でも同じような多様性の可視化の方法が使われていて、そこに関心をもっています。ある意味では生物学からは離れつつあるのかもしれませんね」。これはどういった意味だろうか。

注1:一般的には系統学と呼ばれるが、本稿では何を対象としているかを明らかにするため、生物系統学で統一した。

対象は生物だけでない

 この返答の意味を理解するため、三中先生の著書と向き合いなおした。やがて、その言葉の意味が見えてきた。上述の生物系統学の目的は、進化する対象である生物の由来関係を明らかにすることであるといえる。しかし進化する対象は生物に限らない。言語、写本、建築様式、美術図像、さらには政治体制も進化する対象とみなせる。ならば、系統学的な思考法やその方法論をそれらにも適用することができるはずだ。実際、生物系統学誕生以前から写本や言語の由来関係は研究されてきた。では、そのような系統学の対象の一般化によって統一的に解決される問題群は何なのか。逆にどのような問題群が新たに生じてくるのか。さらには、様々な分野で独立に系統学的な思考法が生じてきた歴史から見えてくる、生物としての人間が持つ認知心理的な特性や制約はどういったものなのか。これらの問いに、三中先生は関心を抱いているようだ。
 これでひとつ掴めた。三中先生の奏でる音楽を結びつけるのは、生物学ではなく、系統学的な思考法、すなわち由来関係で結ばれる対象の歴史を考察する思考法だったのだ。そして、「進化する実体の歴史を推定し復元するための方法論」への興味が、三中先生を突き動かしてきたのだ。

「まだあがれない」

 読者の中には、「自分も分野の壁を越えて活動したい」と思っている人もいるだろう。しかし、専門としてきた分野を飛び出し、活動領域を広げて活躍している研究者は決して多くはないようだ。にもかかわらず、なぜ三中先生は分野の壁を越えて活躍し続けられるのか。ここに、「三中信宏」を突き動かす力がある。それは無制限の好奇心だ。ある分野から別の分野に踏み出す時、両方とも同じようにできなければ相手にしてもらえないと三中先生は言う。つまり、新しい分野に飛び込むには、その分野を一から勉強しなおす努力が必要となる。しかし、このような努力は彼の好奇心の前では些細なことなのだろう。定年を来年に控えた三中先生は、最後に、未来についてこう語った。「そろそろ、研究者としてのキャリア的には『あがり』って言葉が出てくるんですよね。でも、もっと変われそうな気がするんで、まだちょっとあがれないな」。無辺の好奇心を持つ系統学者の旅は、まだ終わらない。


参考図書
本稿は、本ウェブページ上の他の記事に比べ、研究者自身により強く焦点を当てている。これは、三中先生自身の研究者としての魅力を伝えるためであるが、それにより研究内容はくすんでしまったかもしれない。そこで、三中先生の研究内容に興味を持った読者がその知的欲求を満たすことが出来るように、三中先生の著書を6冊紹介する。

[1] 三中信宏 『生物系統学』 東京大学出版会 (1997)
 系統学、その深遠な世界を覗きたい方へ。本稿でも紹介した名著。

[2] 三中信宏 『分類思考の世界-なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』 講談社現代新書 (2009)

[3] 三中信宏 『系統樹思考の世界-すべてはツリーとともに』 講談社現代新書 (2006)
 ヨコ思考である分類思考とタテ思考である系統樹思考。これら二つの異なる思考法が平易に解説されているのがこれら二冊。

[4] 中尾央・三中信宏 (編著) 『文化系統学への招待-文化の進化パターンを探る』 勁草書房 (2012)
 対象を生物から文化構築物へ。本稿でも登場した文化系統学のコンセプトを掴める本。

[5] 三中信宏 『思考の体系学: 分類と系統から見たダイアグラム論』 春秋社 (2017)

[6] 中尾央・松木武彦・三中信宏 (編著) 『文化進化の考古学』勁草書房 (2017)
 本インタビューの後に出版された二冊。今、三中先生の好奇心をくすぐっているものがここにある。

筆者としては、是非『生物系統学』に挑戦してもらいたい。1章と2章を読むだけでも、進化を系統学的な視点から見ることができるようになるだろう。しかしながら、なかなか骨が折れる本であることも事実だ。そこで、『生物系統学』を読み解く際に武器となりうる二つの書物も紹介しておこう。

[7] エリオット・ソーバー, 三中信宏訳 『過去を復元する-最節約原理,進化論,推論』 勁草書房 (2010)
 系統関係を推定するとは一体何なのか。科学哲学者エリオット・ソーバーの名著を三中先生が翻訳。

[8] 小倉久和 『はじめての離散数学』 近代科学社 (2011)
 『生物系統学』の第2章を理解する為に必要な離散数学の知識を学びたければこの一冊。高校2年生以上であれば、スピード感をもって読了できるだろう。

また、短時間で三中先生の研究内容の概観を掴みたい方向けに、ウェブページも紹介しておこう。ここに、2017年2月18日に実施された講演内容が掲載されている。本講演は動画も公開されているようだ。

[9] http://www.a-m-u.jp/report/201702_wiad2017_minaka_1.html/




 PROFILE

三中信宏

1958年京都市生まれ。1980年東京大学農学部農業生物学科卒業。1985年同大学院農学系研究科博士課程修了、 農学博士。現在、国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構、農業環境変動研究センター環境情報基盤研究領域統計モデル解析ユニット、ユニット長 。
昆虫少年として少年時代を過ごす。東京大学入学当時、興味があったのは昆虫分類学であった。しかし、生物統計学との偶然の出会いから、数学好きでもあった三中先生は生物測定学の研究室へと進むことになる。このことが三中先生のオモテの顔である生物統計学者に繋がっている。その生物測定学研究室にて学部時代には数理生態学、修士課程では生物測定学に携わった三中先生は、博士課程では生物分類や系統解析の理論の研究に主に取り組むことになる。その際、武器として必要とされた科学哲学についても造詣を深める。これらの経験が、ウラの顔である生物進化学者、系統学者、体系学者としての三中先生のルーツとなっている。




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