つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 34.

時も神の創造なされしものなれど

關 文威 (元 筑波大学 生物科学系)

 人類が追い回されている時間は、130億年前に宇宙が創造された時点[1]から刻み始めたとの学説が現在有力になっている。この宇宙理論にあるビッグバンモデルは旧約聖書創世記の記載に矛盾しないところが偉大である。その御陰で、キリスト教先進国にあっての理論提示であったが、ビッグバンモデルの科学性はデカルトの二元論[2]に立ち戻って吟味を受けることが無かったのである。すなわち、宗教的な干渉[3]を受けることもなく、社会に公開できたのである。そして、神による宇宙創元の業が科学的な証しとして明かされたと、欣喜雀躍する科学者が彼方此方に見掛けられる。

 現代における科学への宗教干渉においては、有名なStarbuck (1899) の序説見解「科学は今や、最も神聖なる学術領域をも明証的な存在にしている」[4]を当時の社会が受け入れて、この曖昧模糊とした実態に風穴が開いたかにも思われてはいたが、それから四半世紀も経てからも、米国テネシー州の教師John Scopesが「進化論」を学校の授業で教えたことを有罪として処断した裁判(Monkey Trial)の恐怖が、今なおトラウマとして米国社会に蔓延しているのである。この不条理に対処するために、米国科学院が公立学校での進化論教育の実施勧告を漸く1998年になって出したり、科学と宗教の関係を論ずる大学での講義数が近年急増しているようである。これらは、米国社会が、教育界や科学界への宗教干渉を排除するための重い腰も上げ始めた明確な証しである。

 ここで、人類歴史上の基準となる最初の年は、時が刻み始めた宇宙が創造された時点、すなわち130億年前に設定するのが科学的である。しかし残念なことに、この時点の記載が聖書にはないのである。仮令、この事に関する神の御告げがあり、旧約聖書に記載されていたとしても、それをもって人間活動の時間基準として定めるには余りに遠い過去であり、実用には不向きである。そこで文明国ならば、キリスト教諸国はキリスト生誕年を紀元元年とする西暦を用い、イスラム教諸国はメディナ聖遷を紀元元年とする回教暦を用いるなど、人類が宗教を意識しての時の基準である紀元を定めているのが実情である。

 現在の我々日本人のほとんどはキリスト教徒ではないが、キリスト誕生と考えられた年の西暦紀元をもって、通常の日本社会における歴史上の年を数える基準としている。皇帝が時をも支配するとする中国思想から発した年号は、日本において「大化」と号して始められた元号として、公文書には依然として見られるが、使用されている範囲は日本社会の国際化に伴なって急速に減衰しているようである。

 紀元前のBCなる表示は “Before Christ” の略語であり、紀元後を表示するADは “Anno Domini” の略語であることは周知のことである。そして、キリスト教徒でもない日本人のほとんども、何の躊躇いも無くBCやADを使用しているのである。BCと表示してしまえば、“Before Christ”の略語であることに強い関心は薄れてキリストの御名が“西暦紀元前”の用語に存在している事を暫し気付かぬのである。 “Anno Domini” の略語 AD も”in the year of our Lord Jesus Christ” を意味しているから、略語の内容に関して尚更にも不注意な心理現象に陥いっているのである。

 この西暦紀元に関しては、キリストの誕生は実際には紀元前4年頃とする歴史学上の説が有力であるようだが、ここで問題にしたいのは、キリストの正確な誕生年月日ではない。キリスト誕生年を基準とした紀元前と紀元後の表示が、非欧米文化圏における精神文明を研究する学者間で問題になっていて、その事態は過去20年ほどの期間に深刻さを増大させていることである。紀元前をBC、紀元後をADと表示することが当然とされていたことに、顕わな不快感を示す社会的異変が起っているのである。

 キリスト教文化に従属を拒否して、BCとADの使用しなくなった人々が共通して用い始めた用語はCEとBCEであ る。ここで“紀元前”の略語として用いているCEは “Common Era” の語形の頭文字から成っており、“紀元後”のBCEは “Before Common Era”の頭文字を略語としている。そして、すでに米国における複数の新聞は、 BC も AD も略語としての使用を廃止している様である。

参考文献
  1. Vilenkin, A.(1982): Creation of universe from nothing. Phys. Lett. 117B: 25-28.
  2. Descartes, R.(1956; originally published in 1637): Discourse on Method. Prentice-Hall, Inc. New Jersey.
  3. Larson, E. J. and Witham, L.(1999): Scientists and religion in America. Scientific American, September 1999: 78-83.
  4. Starbuck, E. (1899): The Psychology of Religion. Walter Scott, London.
Contributed by Humitake Seki, Received January 9, 2003.

©2003 筑波大学生物学類