つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 26-27.

ロンドンより。大学院生活。

金森 サヤ子 (London School of Hygiene & Tropical Medicine, University of London)

 ロンドンに来て早半年が過ぎようとしています。つくば生物ジャーナル創刊号は留学特集の記事が組んであり、 様々な留学体験記が記載されていて留学を志している人、そうでない人にとってもいい情報交換の場となったのではないでしょうか。私も傍から見てみれば留学をしている人間の一人に過ぎないのですが、どうも私は留学という大それた言葉が苦手です。少なくとも自分の場合には当てはまっていないような気がします。なぜかというと留学の原動力となる気持ちがたいていの場合、海外で生活、勉強してみたい、というものだと思うのですが私の場合は自分のやりたかったことがたまたま日本にはなくて、それでここに来てみただけだからです。その場がたまたまロ ンドンであっただけです。でも、世の中では私も留学生という枠にカテゴライズされているようなので、ここに来て感じたこと、考えたこと、等を書いてみようかと思います。こうやって自分の経験を文字にすることは誰かと自分の経験を共有でき、今後、誰かが大きく咲かせるであろう花の種とはならないまでも、よき肥料になる可能性があるのでとても光栄であるのと同時に、自分自身にとってもよい気持ちの整理になるのでこのような場を与えられたことに感謝します。

 私が最初に生物に興味を持ったきっかけは、人間が面白いと思ったから。自分は人間なのにわからないことがたくさんある。それってすごく面白いと思った。そこから始まって筑波大の生物学類に入学し、人間生物学を専攻し、あれよあれよという間にいつの間にか3年生になり、就職活動という進路はまるで考えず4年になり、筑波大大学院の入試まであと1ヶ月という時期になった。それまで、何の疑問も持たずに自分は筑波大の大学院に進学するものだと思っていた。しかし。ある日、面接対策をしようと思い、自分はこの4年間何をしてきただろうと思い返したと き、人間的成長という観点から私の大学時代を振り返ると素晴らしい友人、先輩、先生方に出会うことができ、私は筑波大生物学類に入学したことを誇りに思っている、と胸を張って言いたい。しかし、情けないことに学業面で誰かに胸を張って私はこれをやりとげた、ということが思い浮かばなかった。私の成績表は友人、先輩あってのものだったし、授業をさぼって代返してもらったこともある。旅行が大好きで、有り得ない時期に真っ黒になって帰ってきて授業に出ていたこともあった。でも、社会は、履歴書や成績表といった紙切れ一枚で自分という人間を判断する場合が多い。そういうものだけで自分を評価されたくなかった。というより、自分の履歴書、成績表に自分と いう人間が値しているとは思えなかった。それに気付いた瞬間、このまま筑波大の大学院に進学したら周りのメンバーもたいして変わることなく、私はそれに甘えてぬるま湯に浸かったような生活を続けると思ったし、それではよくないと思い、受験勉強を止め、自分は本当は何をしたいと思っているのか考えた。思えばそれまで私は人生たいした障害もなく生きてきた。高校まで附属だったので無理なく進学できたし、大学も推薦入試に筑波大だけ受け、受かってしまい、大学生活は上述したような生活を送ってきた。壁というものにぶち当たった記憶がない。保障されたレールの上を歩んできた。そのとき、まっさらな気持ちで自分がしてみたいことを自分に問いかけたら、すごく前に抱いていた気持ちが蘇ってきた。感染症がやりたい。先進国である日本が手がける研究分野はいわゆる難病が多い。でも、地球の違う地域を見てみたら日本では病院に行って、薬を貰い、治るような病気、あるいはそれ以 前に防げるような簡単なことで亡くなっていく人が実にたくさんいる。人間の、命の重みは一緒のはずなのに。難病や、いわゆる注目を浴びるような分野は私以外のたくさんの人とお金が投資されている。だったら私は、日本人にとっては簡単な病気で亡くなっていく人たちの現状を少しはよくなることを手伝いたいと思い、この大学院を選んだ。London School of Hygiene & Tropical Medicineといって感染症を専門に扱った大学院である。感染症というものを軸にして医学的、生物学的、疫学的、社会学的、経済学的等の様々な観点から学ぶことができる。かといって私に感染症の分野の知識など、どの観点からもまるでなく、今思えば子供のような感覚でアフリカなど現場で実習ができるということに惹かれ、必死になって出願書類を揃え、エアメールを出した。ここしか出願していなかったので後がなかった。それから3ヶ月後、入学のオファーが届いた。

 イギリスの修士課程は1年間で修了するので現在は2学期が始まったところ、いわゆる半ば、である。ここに来てからは驚きの連続で面白い。まず最初に驚いたのが学生の平均年齢が30代前半ということ。日本人で例えると外務省や厚生省所属の官僚、あるいはドクターがほとんどで、私はおこちゃまもいいところである。とにかく彼らの経験の豊富さは素晴らしい。様々な経験を持った人たちと共に肩を並べて学べるということは講義や実習以外の面でも無限の学習ができる。自分の目で見、感じてきた経験というのは何にも増して尊く現実性があり、彼らから学ぶことは本当に多い。次に挙げるべき点は学生が本当に世界全国から来ているということ。専門分野の特性にもよるのだろうが、例えば、アフリカの人々のエイズに関する捉え方一つとってもやはり外部の者が現地で調査してきた見解と、実際に住んでいる者が彼らの人生を通じて得た見解というのは違う。重みがある。最後に挙げるべきこと は一つ一つの講義や実習の内容の濃さだろう。講義の大半は入念に準備されたパワーポイントで行われ、それぞれの専門分野の方を呼んで講義があるのでreferenceには載っていないようなup-to-dateなことまで学ぶことができる。実習もその試料の豊富さは素晴らしい。そして何より学生数に対する教授、スタッフ陣の数がとても充実している。他にも特記するべき点はたくさんあるが、このような恵まれた環境の中で学んでいくにはもちろんその教育に値する勉強量が必要となってくる。予習、復習、試験勉強・・・半端ない量である。やってもやっても終わらない。物理的に不可能な量の資料が目の前にあるのだから。最初、私はこれもやらなければならない、あれも…と、“しな ければいけない病”にかかっていて、すきな分野のはずなのに学ぶことを楽しむ、というよりただ勉強していた。でも、こんなに勉強してるのに終わらない。他の学校に通う友人は遊びに行っているのに、私はこんなにやることがある。疲れる・・・。そんなとき大学時代の自分を思い出した。あの頃は確かに授業をさぼったりもしたけれど、生活にけじめがあった。自分のすきなこともやって、やったのだから学校での授業や研究室も気持ちを引き締め、楽しんですることができる。そこで今の私がたどり着いた答えは人生に対するスタンスはあの頃の自分でよかったんじゃないのか、ということ。周りから見たらスタンスが変わっていないのだから成長がないように思える。しかし、自分の心持は大きく違う。なんだか後ろめたさを伴ったけじめのつけ方と、経験に基づいたけじめのつけ方。そう思うようになってから、気持ちの持ちよう一つ変えただけなのにだいぶ楽になった。ここには無限の可能性が広がっている。それが、感じられる。何より自分が本当にすきな分野なのでどこを向いても魅力的なことばかりで、楽しい。

 母国以外の国で生活するということは、その国のことを知ると同時に母国に対する理解を深める機会にもなります。 そして自分自身を知るいい機会になります。今、ここに来てみてよかったと心から思う。今の私は以前自分の前に見えていたようなたいした障害もない、まっすぐな一本道を歩んでいるというよりはでこぼこな、先の見えない道を歩んでいる気がします。しかし、長い人生、そんな道を迷いながら歩いて、立ち止まってみたりした方が面白く、 楽しく、充実しているのではないでしょうか。そして、そう思えるのは私を支えてくれている友人や先生方、家族 がいるおかげだとつくづく感じる今日この頃です。心から感謝しています。特別な日はもちろんいつもにも増して 嬉しいけれど、普通の生活を、普通に送れることが一番幸せ、こちらに来てとても、そう感じます。

感想、ご意見、ご質問等あればsayasaya24@hotmail.comまで。

Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received January 28, 2003.


©2003 筑波大学生物学類