つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 7: 308-309.

シリーズ:国立大学法人化

終身雇用制から任期制へ

林 純一 (筑波大学 生物科学系、生物科学類長)

 平成16年4月から実施が決まった国立大学法人化をめぐり、浦山毅(本ジャーナル客員編集委員、共立出版)から3本の原稿の投稿があり、このタイトルでシリーズ化することにした。今回のシリーズを契機に、本ジャーナルの読者の方々からも国立大学法人化に関するご意見の投稿をお願いしたい。そこでこのシリーズを始めるにあたり、一人の国立大学教官としての意見を述べさせていただくことにした。

 国立大学法人化はまさにトップダウンで提示された問題で、導入の是非をめぐる十分な議論もなく実施が決定されてしまった。もちろん議論する時間が全くなかったわけではない。国立大学の教官はもとより、誰もが極めて重要であると感じていながら、実体が把握しにくく、またなかなか議論しにくい複雑な問題も抱えているように思えた。具体的に言えば論議が進まなかった理由は以下の2つに絞られるのではないだろうか。

 先ず第一の理由は国立大学法人化の実体が複雑で簡単には理解できにくいためである。これまでと何がどう変わるのかも理解できずに議論することはできないし、分厚い資料を渡されても読む気もしない。また渡した側もきちんと説明できないのではないだろうか。まさかきちんとした理解もしないのに、反対を唱えるグループと一緒に行動するわけにもいかない。ましてや反対するのなら代案を出せと言われても、一教官にそのようなリサーチをする能力も時間も興味もない。そうならば、むしろ法人化後の対応策に能力と時間と興味を使った方がはるかに現実的な選択だといえる。そしてこのような思いがあったからこそ、法人化後の現実的対応策としてこのジャーナルが生まれたのである[1][2]。

 第二の理由は、有り体に言えば「あきらめ」で、議論したところでどうにもならないと言うことである。筆者の以前の職場でも今の職場でも重要な物事の決定はいつも権力からのトップダウンであった。例えば、AC入試の導入にしても45単位上限の導入にしても、突然の命令が下り、ほとんど選択の自由は許されなかっただけでなく、実施時期も性急を極めた。仮に導入するにしても、執行猶予の期間が有ればカリキュラムの改変によりネガティブな部分の手当ができたかも知れないのだ。しかし、これまでのスタイルを見ていると、新しいシステムの導入による実害の有無に関する議論はそのシステムの導入前にされずに、導入後に具体的に発生した実害には対処療法で対応していくというのが常套手段であるように思う。もちろんこの手法が結果オーライと言うケースも多く、AC入試では素晴らしい人材に恵まれることが少なからずあることは素直に認めたい[3]。

 戦後民主主義の教育を受けて育った世代の人間としては、民主主義という言葉に自分の親たちが受けた教育とは全く違った新鮮な思いを感じとっていた。しかし、学校を卒業して社会に出てからは、学校では習わなかった様々な不条理に出くわした。カネと権力がものを言う社会の中で、学校で学んだ理念とは全く異なる力学的法則が存在することに気がつかず、理不尽な権力に挑んでしばしば梯子を外される経験もした。それが世の常であるのならば何もこの理不尽さ、不条理に挑む必要はなく、むしろ社会で作用している力学的法則を理解し、それを利用するという戦略の方がより現実的ではないだろうか[4]。権力に逆らうことに時間を費やすことを個人的にはむなしいと感じることが多かった。

 さて、いいわけはこのくらいにして本論に入りたい。法人化に対してきちんと理解していないと言いながら、あれこれ論じるのはおかしいかも知れないが、これまでの制度の重大な問題点の一つは教職員の終身雇用制度であると思う。それに加えて学生に対しては「必要最低限のサービスを万人に公平に」をモットーとし、なにか新しいことをやろうとしても、一部の学生にだけ利することは公平性の面から御法度であった。まさに「出る杭は打たれる」。その結果、片足をぬるま湯に、片足を棺桶につっこんだ毎日を送っていても解雇されることになることはないのである。これらは、民間が味わっている生き馬の目を抜くような生存競争と緊張感から我々を遠ざけ、現在の我々はまるで生きた化石のように長い間進化をやめているように思える。これは学生にとってはもちろん、我々自身にとっても不幸なことではないだろうか。

 国立大学法人化の問題点や弊害は色々あるかも知れないが、少なくとも任期制が導入されるなら上記の問題点の一部は改善されることが期待できると思う。ただし、このことを議論する前に、何故「一旦採用されたらよほどの問題を犯さない限り定年まで解雇されることはない」という終身雇用制度を英知ある先人たちは確立したのだろうかという問題を理解しておく必要がある。おそらく研究の自由、とりわけ基礎研究の自由が保障されるためには必要不可欠なことであったのかも知れない。人間にすぐに役に立つことを目指す実用研究や応用研究では、その価値は評価しやすい。生命科学関係で言えば、人間の健康の維持促進、病気の治療、食料生産、環境の保全などに貢献する研究は評価されて当然である。しかし、生命現象の不思議を解明しようとする生物学のような基礎研究には、具体的な評価の基準を作り上げるのは至難の業である。評価のため、近視眼的な結果を性急に求めることによって、これまで終身雇用制度が補償してきた最も重要な精神である、自由な研究、とりわけ自由な基礎研究の伸展を損なってしまうリスクは十分に承知しておく必要がある。

 基礎研究の重要性に関しては、本誌ですでに言及した[5]。基礎研究の本当の価値は、その時の人間には評価できない部分を含んでいて、何年かあるいは何十年過ぎてからはじめて真の価値が理解されることすらある。したがって、基礎研究に性急な結果を望むべきではないだろう。しかしその結果、何もしていない人間と、将来評価される基礎研究を地道に展開しながらまだ具体的な成果が得られていない人間の区別がなかなかできないことになる。そしてそのことをいいことに、そのことを隠れ蓑にして、前者、つまり何もしていない人間の巣窟ができてしまったのも事実である。

 このように考えると、任期制は当然導入されるべきではあるが、その際の客観的な評価制度をいかにして確立するのかという点は、我々がこれからやらなければならない極めて重要な仕事である。再任を勝ち取るために近視眼的研究ばかりがはびこったのでは何にもならない。ましてや評価に際して、私情が混入し、日頃の態度や思想が気にくわないから解雇するというようなこと、つまり情緒や感情が評価に入る余地が決してあってはならないことは言うまでもない。それが完全に保障されないと上層部や権力におもねる人間が出てきてしまうし、またすぐに結果が出る研究だけに絞られてしまう。これでは真の基礎研究は崩壊してしまう。

 任期制導入の理念は、研究成果の素晴らしい教官はもちろん、研究成果の不十分な教官をエンカレッジすることにある。そして、任期制はあくまでも怠慢に対する抑止力として利用し、ある必要最低限の客観的な成果をあげられなかった場合に再任しないと言う程度のものではないだろうか。そのためには如何に客観的評価制度を確立するかということが重要になってくる。例えば任期を5年間とし、この間に少なくとも査読制度のある研究雑誌に2本以上の論文を掲載することを再任の条件とする。これは、5年間で博士(理学)を取得するために大学院生に課している研究成果と同等であり、これを達成できなかった教官は再任されないことになる。

 もう一つの問題は、教育業績をどのように評価するかという点である。我々は研究者である前に教育者である。しかし、研究業績が原著論文数や、掲載雑誌の論文引用頻度の高さ(インパクト係数)によってかなり客観的な評価が可能であるのに対し、教育業績の客観的評価は極めて難しい。それでは、すでに生物学類が全学に先駆けて導入したTWINSを用いた生物学類生による授業評価を教育業績に使うのはどうだろう。しかしそうすると学生に媚びる授業を助長してしまい、最も大切な授業の個性が損なわれる危険を伴う。我々がTWINSによる授業評価とその公表を開始したのは、あくまでも学生の授業参加意識の向上と、教官の授業内容の向上(FD:ファカルティー・デベロップメント)のためである[6][7]。

 筆者は教育業績に対し、恩師である平林民雄(筑波大学名誉教授)から教わった「教育業績と研究業績は一致する」という考えを大切にしている。大学教育の最も重要な点は、自分で問題点と解決策を見出すことをいかに学生に教育するかということである。生物学類ではその集大成が卒業研究である。教室や実験室・フィールドでの授業や実験・実習も大切だが、それ以上に大切なのは如何にクオリティーの高い卒業研究課題を学生に提供できるかということである[8]。そうだとすればクオリティーの高い卒業研究課題を提供できる教官こそ、高い教育業績をあげていると言えるのではないだろうか。そして、その当然の成りゆきとして、その教官の研究室からはクオリティーの高い研究論文が生まれるはずである。これこそが「教育業績と研究業績は一致する」という考え方の基本なのである。

 もちろんここで提案したのは、あくまでも一視点に過ぎないが、いずれにしてもこれまで先人の英知による終身雇用制度によって守られてきた基礎研究の自由を保障するために、任期制度の導入の際にはその運用に我々の英知が問われているのである。

参考文献
  1. 林 純一:つくば生物ジャーナル、Tsukuba Journal of Biology 創刊の経緯 つくば生物ジャーナル 1:2-3, 2002
  2. 林 純一:創刊号の製本と独立法人化に向けた取り組み つくば生物ジャーナル 1:106-107, 2002
  3. 林 純一:生物学類AC入試の基本理念 つくば生物ジャーナル 1:124-125, 2002
  4. 林 純一:平成14年度、生物学類卒業生への祝辞 つくば生物ジャーナル 2:118-119, 2003
  5. 林 純一:筑波大学生物学類で学ぶ意義 つくば生物ジャーナル 1: 62-63, 2002
  6. 林 純一:TWINSによる生物学類授業評価導入の経緯 つくば生物ジャーナル 2:176-177, 2003
  7. 林 純一:TWINSによる生物学類授業評価の理念 つくば生物ジャーナル 2:178-179, 2003
  8. 林 純一:平成15年度、生物学類新入生の皆さんへの祝辞 つくば生物ジャーナル 2:142-143, 2003
Contributed by Jun-Ichi Hayashi, Received September 16, 2003.

©2003 筑波大学生物学類